残暑

2020年9月5日(土)

猛暑の日が続いている。結局のところ、学生たちはいちどもキャンパスに足をはこぶことなく、春学期が終わってしまった。今年は、もともとオリンピック、パラリンピックの開催を想定して学事日程が組まれていた。延期が決まっても、学事日程はそのまま。そのため、いつもは8月の第2週あたり(いわゆる「お盆休み」のころ)に設定されている「一斉休暇」が、早めにはじまることになった。7月最後の日に大学院の会議があり(すでに先月書いたように、ぼくが議事進行でモタついて50分ほど予定の時間をオーバー)、その翌日から急に静かになった。

大学のほうが「一斉休暇」になると、定例の会議や各種委員会といった集まりはなくなり、事務関連のメールも届かない。とはいえ、世間は「平常」どおり動いていて、「お盆休み」を目前にしている週なので、むしろ慌ただしい感じさえする。会議や事務作業からはしばし解放されたものの、ぼくは採点に時間を費やした。全科目がオンライン開講になり、学生たちは課題をこなすのが大変だという話を聞いて、ならば、と思って課題の提出期限をできるだけ後ろに延ばしたのだが、その結果、採点に使える時間が短くなってしまった。
採点をしたり、秋学期から「研究会」の履修を希望している学生との面談をしたり、相変わらずイスに座っている時間が長い。とくに「休暇」らしいこともないまま(いちど、オンライン飲み会があったが、同業者ばかりだったので、ずっと授業の話をしていた)、「一斉休暇」が終わった。そして、ふだんなら「お盆休み」の週に、会議や打ち合わせが再開。メリハリがない。

ちょうどお盆のころ、『日経プラス10』(BSニュース)で「日経POS情報から見る ウィズコロナで変わる消費動向」という特集があった。タイトルどおり、POSデータで、消費の動向を分析するものだ。よく指摘されているのは、家で過ごす時間が長くなり、自炊が増えたこと。パスタなどの麺類や、(パンづくりだろうか)小麦粉。また、天候不順もあって野菜の値段が高騰していることから、もやしや豆苗、冷凍の野菜が例年よりもよく売れているとか。
興味ぶかかったのは「スピリッツ」や「リキュール」という区分の商品だ。「スピリッツ」という区分にふくまれる酒類は、ある時期は消毒用の代替品として買われていたようだが、7月のデータによると(各種の)ジンが売れているらしい(あたらしいブームか)。「リキュール」のなかではレモンサワーやレモンサワーの素が売り上げの上位を占めている。さらに、大容量のハードリカー(たとえば、ウイスキー4リットルとか)の売り上げものびているようだ。いよいよ本格的に、「おうち」で飲もうということだろうか。ぼくたちの生活スタイルが変わり、それは確実に消費に表れる。

この一か月にかぎらず、座って過ごす時間が長い毎日だ。運動不足を解消するため、夜の散歩を続けていた。人もクルマもまばらな夜のまちは、なかなか楽しかった。『TOKYO NOBODY』(2000)という写真集があったが(もう20年前か)、特別な場所や時間をえらばなくても、初夏のころは、21時くらいになると辺りは閑散としていた。ふだんの喧騒からすると、寂しくて、ちょっと怖い感じさえした。写真集といえば、最近『東京、コロナ禍。』(2020)を手に入れた。ページを繰りながらあらためてふり返ってみると、この半年は、メリハリがないようでもあり、同時に、いままでに目にすることのなかった光景がたくさん生まれていたことに気づく。
猛暑の日が続いていて、しばらく散歩はしていなかった(マスクをしていると、やはり苦しい)が、朝夕は涼しくなってきたので、少しずつ再開。なるべく近所を歩くようにしている。夕方の繁華街をぶらついていると、マスクをせずに「密」になって、飲んだり食べたりする人の姿を見かける。いかにも無防備で、大声で騒いでいるようすは、ちょっと心配である。「家飲み」の動きもあるようだが、まちにはずいぶん人が戻ってきている。

カレンダーには、あらかじめオリンピック、パラリンピックの予定を書き込んでいた。開会式、閉会式、そして観戦に出かける日(オリンピックのほうは、すべてハズレだったが、パラリンピックはいくつかの種目を観に行く予定でいた)。本来の予定で開催されていたら、もう明日はパラリンピックの閉会式だ。
会議や授業をオンラインでおこなうことが決まってから、まずは、通信環境を整えて、さらに自室(とくにカメラを介して晒されてしまう「背景」のあたり)を片づけることにした。春学期を終えて、採点票を提出して、ようやくちょっとひと息というところだ。少しずつ、さまざまな制限が緩んできているものの、自由に外に出かけるわけでもない。予定していなかった出費ではあるが、これを機に10年くらい使ってきた家電を、いろいろと買い換えることにした。いままで、忙しさを理由に放置していた整理整頓、修繕なども。「おうち」が少し快適になって、「登校拒否」になるのも困るので、なるべくキャンパスに足をはこぶようにしている。

月末、キャンパスへの入構方法が変わった。秋学期に向けて、少しずつキャンパスに戻ろうという準備の一環だ。新設されたゲートで検温、そして入構記録。自由奔放に伸びていた芝生が刈られて、さっぱりしていた。

おまけ。小泉今日子も、サブスク解禁。順番に聴こう。

f:id:who-me:20200902120825j:plain
写真は9月2日。クルマで来たときはここで停めてゲートへ。

TOKYO NOBODY―中野正貴写真集

TOKYO NOBODY―中野正貴写真集

  • 発売日: 2000/08/01
  • メディア: ペーパーバック
 
東京、コロナ禍。

東京、コロナ禍。

  • 発売日: 2020/07/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

5か月

[14] 2020年8月18日(火)

(7月19日〜8月18日)猛暑の日が続いているが、暦の上ではもう秋。気づけば、春学期の授業は全回オンラインで開講され、採点業務でドタバタとする時期をむかえていた。月ごとの記録は、「ひと月」(3月4日〜4月15日)、「ふた月」(4月16日〜5月15日)、「3か月」(5月16日〜6月19日)、「4か月」(6月20日〜7月18日)を経て、5か月になる*1

7月20日(月)

午後は、ひさしぶりに三田キャンパスへ。出席者どうしの距離を保つために、会議室ではなくホールで“リアル”な会議。いかにも商用車に乗っているので、スーツを着て行ったのに納品に来た業者だと思われて入構に時間がかかった。

7月21日(火)

朝、三田キャンパスで会議を終えてから、湘南藤沢キャンパスへ。午後は「研究会」。今学期で卒業/修了する学生が4名。みんなで一緒に集まって、おめでとう、お疲れさまでしたって声をかけることができないのが残念。オンラインで、記念撮影はしたけど。

  • 花火おかしら日記)を公開
  • (リアルな)会議(60分)三田キャンパスへ → SFCまでドライブ
  • 研究会(180分)
  • 学生との面談(オンライン授業にかんするオンラインインタビュー)(30分くらい)
7月22日(水)

秋学期のシラバス入力期限。この時点では、「完全オンライン」「オンライン(SFCの教室から配信)」「オンキャンパス」という3つの開講形態を指定できるようになっている。授業開始は10月1日なので、今後の動きしだいで、キャンパスへの出入りがどの程度可能になるかはわからない。

  • 修士論文最終報告のリハーサル(60分)
  • アゴラ(60分)
  • 研究室/研究会説明会(60分くらい)
  • 大学院レビュー科目(150分)
7月23日(木)海の日
7月24日(金)体育の日

昨年の秋から休眠状態だったカレーキャラバン。少しずつ動き出そうという想いで、オンラインバージョン。それぞれ、カレーを準備して、食べながらおしゃべり。ぼくは、けっきょくテイクアウトに。
本来であれば、オリンピック開会式

  • カレーキャラバンOn Line(120分くらい)

f:id:who-me:20210526064406j:plain🍛🐫みんなで食べた。 #currycaravan #カレーキャラバン #stayhomeandcurrycaravan #アアルトテーブル

7月25日(土)

みんなでビデオをつくろうというプロジェクト。リドリー・スコットらによる世界的なプロジェクト(Life in a Day)に敬意を表しつつ、加藤研のメンバーで、学期末のある一日 -- 2020年7月25日 -- を記録することにした。ことばで、あるいは映像で「わたしにとって大切なモノ・コト」を記録する試み。午後は、ぼくも近所を散歩しながらスマホで撮影。桜丘のあたりを散策した。

f:id:who-me:20210526064411j:plainJuly 25, 2020 #tekinasakuragaoka

7月26日(日)

(前日からつづく)それぞれの7月25日を記録しようという試み。学生たちから送られてくるビデオに、ぼくの分をくわえると25本。ひさしぶりにビデオを編集して、公開。みんなの暮らしは穏やか。 

7月28日(火)
  • 大学院生とのミーティング(120分くらい)
  • 教員への秋学期授業説明会(90分)
7月29日(水)

きょうは、会議日。月に1回は、こういう日がある。

  • その1(60分)
  • その2(60分)
  • その3(150分)
  • その4(120分)
  • その5(90分)
7月30日(木)

修士の最終試験をオンラインで終えてから、大学へ。ひさしぶりのキャンパス。8月1日から夏季一斉休暇になるので、郵便物を整理して、本や書類を持ち帰る。

  • 修士最終試験(30分)
7月31日(金)

大学院の会議。つまり、議事進行の役目。ちょっとモタつくことがあって、けっきょく50分くらい、予定の時間をオーバー。くたびれた。

  • 会議(議事進行, 170分くらい)

そして、8月7日の東京都の新規患者にかんする報告件数:463人 

f:id:who-me:20200818215005p:plain

8月1日(土)〜10日(月)

ぐったり疲れた会議の翌日から10日まで、事務室閉室(夏季一斉休暇)。つまり、基本的には会議もないし、メールも来ない。採点業務はあるものの、ちょっとゆっくりしたペースで。
今年はオリンピックを想定して学事日程が組まれていたので、1日〜10日が事務室閉室となっている(この日程は、オリンピックが延期になっても変わらず)。いっぽう、世の中はその次の週がお盆休みということで、なんだかペースがくずれてしまう。
ようやく梅雨明け、そして8月1日の東京都の新規患者にかんする報告件数:472人

8月2日(日)
8月4日(火)

f:id:who-me:20200818211036j:plain

https://fkab.net/fw20s/

「フィールドワーク法」の成果を公開。「ちょっと窮屈なフィールドワーク」展と称して、お互いに最終成果(パネル)を参照、評価できるようにした。

  • 面談(60分)
  • 面談(60分)
8月5日(水)
  • 面談(45分)
8月6日(木)
  • 面談(20分×5)
  • 「リフレクティブデザイン」の“放課後”の集まり(わずか数人)
8月7日(金)

用事があって有楽町までドライブ。首都高はすいていて、ストレスなく到着。帰りは首都高を使わずに動いたら、青山通りはかなりの渋滞だった。
夜は、オンライン飲み会。同業者(他大学の教員)たちと、春学期のふり返り。それぞれの工夫や苦労を紹介しながら、ずっと授業の話をしていた。

f:id:who-me:20210526064416j:plain🍷オンライン飲み会してる。 #onlinenomikai

8月7日の東京都の新規患者にかんする報告件数:462人 

8月9日(日)

本来であれば、オリンピック閉会式

8月10日(月)
8月11日(火)一斉休暇明け
  • オンラインおしゃべり(テラス倶楽部)(60分くらい)
  • オンライン面談(20分×3)

東京の最高気温:37.3 ℃

8月12日(水)
  • オンライン面談(20分×3)
8月14日(金)
8月16日(日)
8月17日(月)
8月18日(火)

世の中もお盆休み明けになって、いろいろ動きはじめた。午前中はオンライン会議、午後は三田キャンパスへ。
8月7日の東京都の新規患者にかんする報告件数:207人 

  • その1(60分)
  • その2(60分)
  • その3(60分)三田キャンパスへ

(いまここ)

(つづく)

イラスト:https://chojugiga.com/

*1:必要に応じて、適宜加筆・修正します

一段落

[13] 2020年8月14日(金)

ここ2週間ほどは、慌ただしく過ごしていた。この状況下で、学生たちは課題が多くて大変だということが話題になっていたので、提出期限をギリギリまで遅らせたのだが、その分、採点のための時間が短くなってしまった。ようやく、採点が終わって一段落。
ここ数日は、猛暑である。
今学期は、いろいろと考えさせられることが多かった。夏休み中に整理するつもりでいるが、ひとまず、備忘をかねてふり返っておく。

13.1 オンライン「でも」できる

3月の中ごろに「オンラインで開講」という方向性が決まったものの、会議に時間を取られて、なかなか授業の準備をはじめることができなかった。日ごろ、フィールドワークやインタビューなどをおこなっているので、あれこれと制限される学期になることは容易に想像できた。くわえて、グループワークを中心に組み立てている授業も、どうすればいいのか。いっそのこと春学期は休講にできればと考えたくらいだが、なにぶん先が読めない。教室で机を囲んでディスカッションをするような状況をオンラインで再現することはあきらめて、早々に「〜ぢゃない」という宣言をした。例年とはちがう授業のつもりで、でもCOVID-19を必要以上に「言い訳」にしないことを意識しながら授業を再構成した。
すでに「オンライン化って、」(2020年4月9日)で触れたように、オンライン授業は、以下の3つの視点から性格づけることができる。

ネットでしか提供できない教育
ネットでも提供できる教育
ネットでは提供できない教育
宮崎耕(2002)*1

まず、大まかな結論。オンライン「でも」できることは、いろいろある。やはり、実際にやってみなければわからないことはたくさんあるわけで、一学期間オンラインで授業を試みたことで、その可能性を実感した。だからオンライン「でも」できるなら、緊急対応のような位置づけではなく、開講形態を多様化するという意味でオンライン開講の授業をつねに提供するのがよいだろう。これについては、時間割や教室の配当のことなどとも連動しているので、いろいろ調整すべきことがある。
やはり大事なのは、オンライン「では」できない授業をどうするのか。この数か月、ストップしてしまっている「学び/学び方」があることも確かだ。どうにかして、少しずつでもキャンパスに戻せるように(現実的に)動きたい。
そして、春学期の体験をとおして、ぼくたちはオンライン「でしか」できない授業に向き合った(そうせざるをえない状況だった)。まずは、(ひと休みしてから)今学期のさまざまな努力や工夫の一つひとつを共有して、あらためて授業のあり方について考えることだ。

13.2 丁寧に、あるいは冗長になる

これまで、遠隔で会議に参加することはあったものの、学期をとおして全回オンラインで授業をするのは初めてのことだった。いまの職場ですでに20年近く講義を担当しているので、学生のふるまいも、90分という授業時間の流れも、「教室」の雰囲気も、身体で理解していることは少なくない。良くも悪くも、慣れている(と自覚していた)。
だから、ごく自然に、これまでの感覚を頼りに講義資料を準備し、毎回の授業を組み立てた。だが、ほぼ毎回、時間が足りなくなった。これまで、間が持たない(しゃべることがなくなって、気づかれないように即興的に内容を考えて対応する)状況こそあれ、時間が足りなくなることはあまりなかった。少しずつ調整を試みたが、あまり大きく変わらなかった。いつも、何枚かのスライド資料を使わないまま、終了の時刻をむかえた。
オンラインだと、時間が足りなくなるのだろうか。その理由のひとつは、チャットかもしれない。教室とだいぶ勝手がちがうので、学生の反応(ふだんなら、直接、目の前で確認できる)を知る手がかりをえるために、毎回チャットを動かしておいた。講義資料を眺めながら、授業時間中はいつでも匿名で書き込めるというものだ。ぼくは授業をしつつ、もう一台のPCでチャットの流れを追っていた。匿名で書き込めるせいか、(ぼくの感覚からして)品性に欠ける書き込みも(ごくわずかだが)ある。いっぽうで、ぼくのしゃべっている内容について、絶妙なタイミングでコメントや質問が書き込まれることもあった。そんなときは、すぐにそれを話題にして質問に答えたり補足したりする。対面ではないが、直接、受講者とやりとりしている感覚になる。それは、心地よい。
話に熱中していると、チャットは流れていってしまうが、画面の向こうのようすが伝わってくるのがよかった。学生にも好評だった。もちろん、質問だけではなく、感情的なリアクションもチャットの画面に表示される。頷きも、ため息もチャットを流れるテキストから伝わってくるようだ。
とはいえ、教室にいるときは、つねに学生たちの反応(無反応という反応もふくめて)を目にしながら、反射的にふるまっている。だから、教員が一方向的にしゃべるような講義スタイルでも、じつは、かなり豊かな双方向のコミュニケーションが成り立っているのだ。おそらく、そうした反応を確認できない(オンラインの場合に何を手がかりすればよいのか、まだわかっていない)ために、何度も同じことをくり返し語っている可能性がある。よくいえば丁寧なのだが、これまでように時間に収まらないということを考えると、かなり冗長になっているのかもしれない。f:id:who-me:20200815162130p:plain

13.3 部屋は片づいた

しばらく、給油していないことにも気づいた。もちろん、行動が制限されているわけだから、クルマに乗る機会は激減している。ここ数週間は、ときどきキャンパスで仕事をするようにしているが、それでも、ほとんど家のなかで過ごしている。その間、オンラインの授業や会議に対応するために少しずつ家具の配置を変えたり、不要なモノを処分したり。おかげで、じぶんの部屋はもちろん、家がだいぶ片づいた。
今学期開講した「フィールドワーク法」では、実習の一環でまち歩きをすることは、できるかぎり控えるように指示することになった。そもそも、フィールドワークの本質は、不要不急の外出ではないかと思うが、そんな理屈はたぶん受け容れてもらえないだろう。せいぜい、最寄り駅の界隈や近所をフィールドとしてえらぶことくらいだ。結果として、大部分の受講生たちは、「うち(内/家)」に関心を向けて観察や記録をおこなった(講義の詳細については、別途まとめる予定)。この状況だからこそ、モノの配置、家族との時間・場所の調整など、さまざまな観点から生活リズムの変化をとらえる機会になったようだ。
何人かの同僚たちは、SNSなどで、自室がスタジオに変わってゆくようすを公開するようになった。スペックの高い機材を揃えながら、オンライン講義に嬉々として向き合っているように見える(もちろん、ぼくもふくめ、全教員がその流れに乗っているわけではない)。
「うち」への意識の変容は、たんに整理整頓がすすんだということではなく、もう少し広い文脈でとらえたほうがよさそうだ。教員にかぎらず、一部の学生たち(とくに大学院生)は、この数か月で自室の「ラボ化」をすすめてきたのだ。つまり、キャンパスに通わなくても、じぶんの部屋で、ある程度の作業ができるように環境整備をすすめていた。それは、いわゆる“ノマド”なスタイルとはちがう。逆に、移動しない/できない前提で、仕事をするということだ。ここで重要なのは、ちいさな「ラボ」が、ネットワークで接続されているという点だ。情報を共有し、データをやりとりしながら、「ラボ」どうしのゆるやかな連携によって研究環境が成り立つ。このヴィジョンは、しばらく前からあったはずだが、新型コロナウイルスの感染拡大によって、その実践に向けた動きが加速したといえるだろう。
これは、ぼくたちがキャンパスに何を求めるのか、キャンパスとは何か、というもっと大きな問いにつながっているはずだ。「うち」として閉じられていた空間・時間が、少しずつひらきはじめているのだ。研究分野によっては、キャンパス「でしか」実現できないことはたくさんある。そのいっぽうで、教員も学生も、ネットワーク化された自前の「ラボ」(つまり自宅/自室)で暮らすことになったら、キャンパスはどうなるのか。これは引き続き考えていきたい。

13.4 〈声〉を聴く

不自由になることはそのまま受け容れることにして、どうせなら、オンライン「でしか」提供できない授業について考えようと思った。たとえば、匿名性の問題。ビデオをオンにすれば、画面越しとはいえ顔を見ながら話ができる。その便利さはわかるが、オンラインであればこそ、(わざわざ)顔を見えないようにする。声を聞かないようにすれば、ジェンダーにかんする手がかりもなくなる。画面に表示される名前も、実名ではなく匿名(ハンドルネーム)にすれば、残されるのは、画面上に綴られるテキストだけになる。個人的な趣味も手伝って、今学期の「リフレクティブデザイン」では、実験的な授業を試みた(この講義についても、あらためて書くつもりだ)。
そうなると、ぼくは、一人で自室から、(どのような広がりをもっているのかもわからない)暗い海に向かって、ひたすらしゃべり続けるような想いになる。ラジオのパーソナリティーという仕事を想像する。さぞ孤独な時間になるだろうという予想に反して、むしろ楽しむことができた。
もちろん、こちらの授業でも、匿名で書き込むことのできるチャットを併用していたので、学生たちからの書き込みを眺めながらしゃべる。その場で反応することができれば、学生たちとの即興的なやりとりをしていることを実感する。いずれにせよ、ぼくは、じぶんの「商売道具」のなかでも、〈声〉が大切であることに、あらためて気づいた。
声質やしゃべり方が嫌だと(生理的にダメ、とか)言われたらそれまでだが、丁寧に語り、画面の向こうの誰かに〈声〉を届けようという意識が強くなった。この意識を持てるようになったことは、今学期の収穫だったように思う。名前も顔もわからない誰かを想定して、さまざまな手がかりを遮断して、〈声〉だけの状況をつくるからこそ、何を語るのか、何を伝えたいのかということに自覚的になれるように思う。
そして、チャットの画面に綴られるテキストでも、あるいは無反応であったとしても、それらをぼく以外の誰かの〈声〉として聴くことができるのではないか。まだまだ体験を重ねる必要があるが、いくつもの〈声〉を聴くための感性を磨くこと。その方法や姿勢のありように、いままで以上に関心が高まっている。

(つづく)

イラスト:https://chojugiga.com/

*1:宮崎耕(2002)「新たな教育システム:遠隔e-learningの試み」平成14年度教育の情報化フォーラム(私立大学情報教育協会)