ありがとうございました。

2023年10月1日(日)

9月末をもって、大学院政策・メディア研究科委員長を退任することになりました。2019年10月より2期4年間、在任中は大変お世話になり、ありがとうございました。略式ながら、ここで感謝を申しあげます。

いずれ、ゆっくりふり返ってみようと思うのですが、だいたい月に1回のペースで開かれる研究科委員会の議事進行が、この4年間の生活リズムをつくっていたように思います。数えてみたら、これまで合計で46回(臨時に開かれたものもふくむ)。そのうち、最初の4回は大会議室で(対面で)開かれましたが、2020年度からは、すべてオンラインに切り替わりました。毎回、80名ほどの先生がたが出席する会議で、もちろん対面であっても議事進行はあれこれと大変なのですが、画面越しにどのように会議をすすめるのか。研究科の会議にかぎらず、学生たちの発表はどのように実施するのか。不慣れなこと、初めてのことが多すぎて、なかなか大変でした。
たとえば学位審査にかかわる議事の場合には、遠隔で「決を採る」必要があるので、その仕組みを整えなければならない。当時、補佐をお願いしていた先生がたにお世話になりながらやり方を工夫し、いまにいたっています。中間発表のポスターセッションは、Gather.townを使うことにしました。学生も教員も、ちいさなアバターになって、ちょこちょこと発表会場を動き回っていました(修士課程の発表は、すでに対面での実施に戻っています)。
けっきょく、COVID-19の影響が思いのほか長引いてしまい、大学院そのもののこと、とりわけカリキュラムのことは、本格的に着手できないまま任期を終えることになりました。なにより、見たり聞いたりするのと、実際にやってみるのとは大ちがい。「研究科委員長」という肩書きをもつと、かえってやりづらいこともたくさんある。それを実感できたことも、じぶんにとっては、よい経験でした。

9月いっぱいで任期を終えることが決まったので、(不遜なことながら)8月、9月は「消化試合」みたいに少しずつ楽になっていくだろうと期待していたのですが、その想いは脆くもくずれ、いろいろな「事件」が多発して、むしろドタバタと忙しく過ごしていました。そうこうしているうちに、研究科委員長室の片づけもできないまま9月も終盤に。(文字どおり)ギリギリの9月30日は、朝から晩まで部屋を片づけました。
研究科委員長室は、(キャンパスへの立ち入りが禁じられていたこともあって)最初の1年くらいはあまり使うことができませんでした。なんだか壁がさびしい感じだったので、学生たちとすすめているフィールドワークの成果を提げることにしました。全国のまちを巡り、訪れた先で出会った人びとの話を聞き、一人ひとりの表情をとらえたポスターをつくるというプロジェクトを、ここ10数年ほどつづけています。ポスター(もともとはA1サイズで出力しているもの)を縮小して並べ、タペストリーのようにして印刷しました。壁に提げると、「執務室」はとてもカラフルになりました。オンライン会議でご一緒したかたは、ぼくの「背景」にポスターが映っているのを見たことがあるかもしれません。

オンライン会議の議事進行は、孤独です。チャット欄にはいろいろ書き込まれるし、ダイレクトメールも容赦なく届きます。なるべく落ち着いた雰囲気を保とうとしつつも、忙しない。予期せぬかたちで紛糾することもあるし、ぼくの理解不足が露呈してしまうこともあります。不思議なことに、部屋を片づけていると、いくつかの会議の場面を思い出しました。壁に提げていたポスターをはずすと元の真っ白な壁に戻り、ぼくの「背景」には、ずっとポスターの人びとの表情があったことにあらためて気づきました。そうか、文字どおり、みなさんがぼくの「バック」にいてくれたのか。たった一人で部屋にいたのではなく、400人ほどの「ふつうの人びと」とともに、会議に向き合っていたのだ。そう思うと、なんだかうれしくなりました。

よろこばしい出会いも、そして辛い別れもありました。それでも、できるだけ地に足をつけていようと心がけていました。「事件」は現場だけではなく、会議室でも起きています。いつでも、どこでもハプニングがあって、お話しできないこともたくさんあるのですが、ひとまず、ぼくの任期はおしまいです。心残りもありますが、「ふつうのおじ(い)さん」に戻りたいと思います。もういちど、ありがとうございました。🙇🏻

やめること

2023年9月26日(火)

SOURCE: やめること|政策・メディア研究科委員長 加藤 文俊 | 慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス(SFC)

もうすぐ秋学期がはじまるというのに、いまだに暑さから解放されそうにない。さすがに朝夕は少ししのぎやすくなったが、今年の夏は本当に暑かった。閑散としているキャンパスも、ほどなく賑やかな雰囲気になるはずだ。大学生の夏休みは長い。長い分だけ、いろいろと考える機会が増えるのだろう。たとえば、あらためて進路のことを考える。「卒業プロジェクト」をまとめる段取りも重要だ。インターンや就職活動が現実味をおびてくる。なかには、休学を希望する学生もいる。
この時期になると、学生からいろいろと相談を受ける。迷ったり悩んだりするのは、学生の特権だ。一人ひとりの事情はことなるが、話をしていると、やりたいことがいくつもあって、どれをえらべばよいのか決められずにいる場合が多い。目の前に選択肢がいくつもあるのは、素晴らしいことだ。さまざまな可能性があるのだから、いろいろと試してみればいい。もちろん、現実的に考えることは大事だが、夢に向かって踏み出してみるのがいいと思う。だから、ぼくは常識的なアドバイスをするだけで、あとは本人が決めるよう促すことにしている。なるべく、背中を押す。
だが、たんに「猶予期間」を延ばしたいだけなら、休学はあまり勧められない。休学するなら、「とりあえず」休んでみるのではなく、前向きな理由があればと願う。あれもやりたい、これも可能性がある。大いに欲張りつつも、何に注力するのか、覚悟をもって決めることが大切だ。復学後のことなどあまり考えず、退路を断って向き合う。決めることはえらぶことで、えらぶことは(他の可能性を)手放すということなのだ。

先ほど特権と書いたが、じつは、迷ったり悩んだりするのは学生だけではない。誰でも、幾つになっても、ふと立ち止まるときが訪れるはずだ。数か月前に、『Quitting(邦題:やめる力)』という本を読んだ。啓発書の類いは、何にでも「〜力」をつけがちだ。本を一冊読んだくらいで、何らかの能力が格段に開拓されるわけでもないだろう。そう思って、やや訝しい目で読みはじめたのだが、頭がすっきりと整理されるようだった。著者は、さまざまな分野の人びとに「やめた」経験を丁寧に聞き、そのなかから「やめる」ことの本質に近づこうとする。
いうまでもなく、「やめる」ことは、何かを手放すことだ。事情はいろいろあるが、変化や成長のためには、何かに別れを告げ、何かをえらびとらなければならない。問題は、前向きな気持ちで何かを手放しているはずなのに、その判断に後ろめたさを感じてしまうことにあるという。熟考のうえ「やめる」と決めていても、なぜだか自分を責める。それは、「もう少し諦めずに、がんばって最後までやり通すべきだ」「思うようにいかないのは、自分の努力が足りないからだ」「周りからの期待にこたえなくてはならない」などという想いにつまされて、なかなか「やめる」決断ができないからだ。体裁や面子ばかりを気にして踏み出せないとしたら、それは、変化のきっかけを自らが奪っていることになる。惰性や弛みがある場合も、「やめる」決断はしづらい。無自覚に慣例にならい、現状維持をくり返しているだけでは変化は生まれないだろう。「やめる」ことこそが変化の源泉なのだから、「やめる」ことを失敗だと思わなくていい。同書は、「やめたいときにやめられれば、人生の可能性は広がる」と説く。

人とのかかわりも、そうだ。ぼくたちの毎日は、つねに複雑な関係のなかにある。幾重ものやりとりを続けながら、出会いをよろこび、別れを惜しむ。何かを手放すことはそう簡単ではないし、一時的な不安や戸惑いはつきものだが、「やめる」ためは、つぎへとすすむ覚悟を必要とする。そして、別れは慣れ親しんでいた社会関係を組み替える。
学問も、そうだ。この「おかしら日記」を書きながら、ずっと大学のこと、学究のこと、より具体的にはSFCのことを考えてきた。そもそもSFCは、あたらしい知のありようを模索し、従来のやり方を「やめる」ことからはじまった。古い概念を手放すことで、前にすすんできたはずだ。あらためて、数年前に『三田評論』(2020年10月)に書いた拙文「これまでのSFC、これからのSFC」を読み直してみた。ぼくたちが、ずっと「やめる」ことなく続けていることは何か。それは、なぜか。30数年前にはじめたことのいくつかを、潔く「やめる」ことによって、あたらしい景色に出会えるのではないか。ぼくたちの「やめる力」が試されている。

リア充(っていうことなのか)

2023年7月26日(水)

カレンダーをめくることもなく、7月も中旬になってしまった。春学期、とくに後半は慌ただしくて、気づけばもう学期末である。最後に「マンスリー」を書いたのがゴールデンウィークのころだったので、ずいぶん空いてしまった。その間、いろいろなことがあった。
ゴールデンウィークが明けて数週間で、「学期前半科目」が最終回をむかえた。全7回という設定なので、5月中にひと区切りになる。短期集中で学ぶのは悪くないのだが、授業のまとめや採点の業務も必要になって、にわかに仕事量が増える。5月は、3回残留。そして6月に。今学期は、多くのことが対面になった。ぼくとしても、(これまでの反動もあって)意識的に外に出かけたり、人に会ったりするように動いている。外食も増えた。動けずにいた期間が長かったせいか、(いまさらながら)身体の使い方がよくわからないような、そんな感覚をいだきながら過ごしていた。

6月は、すべての週末に「行事」があった。まず、最初の週末は山口へ。学生たちとともに全国のまちを巡る活動は、もう20年近く続いている。あるタイミングで47都道府県の踏査が目標になり、いろいろな場所に出かけている。残り7府県というところまできて、COVID-19の影響を受けて身動きが取れなくなった。昨年の秋くらいから少しずつ活動範囲が広がり、今学期はずいぶんに自由になった。結局のところは、遠距離の府県が「未踏」になっていて、この春は山口県に行くことにした。
さすがに「飛び込み」で、まちの調査をすることはできず、知人を介して山口大学の鍋山先生との接点ができた。事前にオンラインでやりとりして、山口で実習ができることになったので、「本番」に先だって下見の旅行をした。6月最初の週末は、東岐波(宇部市)へ。お世話になるかたがたに挨拶をして、細かいことを相談した。海辺のコンテナハウスの宿で、穏やかに過ごした。

第2週の土日は「日本生活学会」が開かれ、ひさしぶりに対面で学会に参加した。やはり、対面だと気分がちがう。年に1回、同業者たちと顔を合わせて語らう。シンポジウムや口頭発表もいいのだが、ちょっとした立ち話が楽しい。少し大げさだが、お互いに元気に生きのびていたことを確認するような、そんなあいさつの場面がいくつもあって、少しずつ身体のなかにうるおいを取り戻しているような感じがした。学生とポスター発表に2件。ポスターセッションは、ゆっくりと話ができるのでいい。

第3週目は、大阪へ。昨年に引き続き、「慶應大阪シティキャンパス」で学部と大学院の説明会を開くことになっていたので、前ノリ。学部長とともにあれこれと話をしながら食事をした。近畿は5月の末にすでに梅雨入りしていて、蒸し暑い。翌朝は、いちおうスーツにネクタイで説明会に臨んだ。大学院の説明会は学部にくらべるとコンパクトで、それでも出願を考えている人で、席はほぼ埋まっていた。個別に話をした印象では、社会人入学を検討している人が多かった。説明会は滞りなく終わって、帰京。前の晩の店の冷房が効きすぎていて(本当に震えるほどだった)、それでなんだか体調がおかしくなったようだ。といいつつ、少しずつ回復。

そして第4週は、ふたたび東岐波へ。これが「本番」である。加藤研から参加の学生たちは17名ほど。現地で合流し、さらに、今回ご一緒することになった山口大学の鍋山ゼミの学生たちも10数名。かなりの大所帯で集うことになった。天気にも恵まれ(じつは、ぼくたちがフィールドワークを終えて戻った翌週あたりから中国地方は大雨だった)、充実した実習になった。
今回は、とにかく宿のロケーションがよくて、30名くらいの学生たち(加藤研+鍋山研)で海のそばでバーベキューを楽しんだ。肝心の成果のほうも無事にまとめることができた。ここ数年、いろいろと工夫をしながらフィールドワークの実習を試みてきたが、ここまで開放的な気分で過ごしたのは、おそらく2019年の冬以来のことだ。

こうして、6月はじつに「リア充」な週末を送りつつ、もちろん平日は授業や会議などの予定が詰め込まれていたわけで、6月は3回残留した。クルマを車検に出したり、病院の検査があったり、あらためてカレンダーを見直すと、ずいぶん動いた。クルマは11年目に入ってあちこち修理や調整が必要になったが、もはや大事な相棒なので、もう少し乗ることにした。まもなく160000キロになるが、まだしばらくだいじょうぶそうだ。

そして気づけば7月。最初の週末は七夕祭だった。模擬授業を頼まれていたので土曜日はキャンパスへ。いろいろ学生に頼まれる機会はあるが、七夕祭での模擬授業は初めてだった。そもそも聞きに来る人はいるのか、何人くらい来るのか、30分で何を話せばいいのか。わからないことばかりだったので、いちおう2つ話を準備して、現場のようすで決めることにした。
朝から雨模様だったが、七夕祭も「制限なし」で開催されるのはひさしぶりのことだ。午後になると雨が上がり、陽も差す感じだった。花火は上がるらしい。ぼくは、役得でVIP席(学生ラウンジの上)で空を見上げた。他にも報告すべきことがあるが、ひとまず7月に書く「マンスリー」はこのくらいにしておこう。

とにかく暑い日が続いている。七夕祭の晩に撮った写真を見ていて、なんだか不思議な感じがした。カモ池のまわりにこんなにたくさん学生がいて、かなり「密」だし、(それなりに)大きな声を出しているし、マスクもしていない。じぶんの活動量が格段に増えていることもふくめて、急激に日常が変わったことを実感する。この数年を「なかった」ことにはできないし、そんなつもりもないのだが、とにかく身体を上手になじませないとダメだな、と思う。

写真は7月1日。花火を待つ。