キャンパスで暮らそう。

2022年11月8日(火)

SOURCE: キャンパスで暮らそう。|政策・メディア研究科委員長 加藤 文俊 | 慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス(SFC)

秋学期がはじまって、早くも6週目である。木々が色づき、キャンパスが美しい季節になった。ここにきて、ようやく学生たちが戻って来たという実感がある。教室や研究室で学生と一緒に過ごす時間が増えているのは、うれしいことだ。もちろん、同僚にも出くわす。会議の多くは相変わらずオンラインで開かれているものの、同僚とすれ違うだけでも気分がいい。遠距離通勤はあたりまえのことになっていたはずだが、「ステイホーム」に慣れてしまったせいか、キャンパスへの行き来については、少し身体を整えて臨んだほうがよさそうだ。
夜遅くになって、無理をして遠くまで帰るよりは、キャンパスに「残留」したほうが楽な場合もある。ぼくも、今学期になってから3回「残留」した。キャンパスに泊まれば翌日の通勤の煩わしさはなくなり、朝の時間をゆっくり過ごすことができる。突き詰めると、キャンパスに住めばよいということになる。

いま、キャンパスでは学生寮の建設がすすんでいる。ふだん利用している講義棟や本館の側から、ずっと工事現場は木々に隠されていた。秋学期を迎える少し前にその一部が伐採されて、いきなり建物が姿を現した。図面などではたびたび目にしていたが、やはり現物を見ると存在感がある。やがて周回道路と接続され、学生寮はキャンパスの一部になる。文字どおり、キャンパスに住めるようになるのだ。4つの居住棟に共用棟をくわえた5つの建物によって構成される一帯を、「H(イータ)ヴィレッジ」と呼ぶことになった。湘南藤沢キャンパスでは建物の名称にギリシャ文字を充てているが、学生たちが住まう「ハウス(House)」の「H」で、「H(イータ)」がえらばれた。

順調にいけば「Hヴィレッジ」は来年の早い段階で竣工し、4月からは学生たちが暮らしはじめることになる。キャンパスに住むのだから、通学に費やす時間は無いにひとしい。朝はのんびり寝坊もできるし、キャンパスに「残留」せずに、すぐに自分のベッドに帰ることができる。

いうまでもなく、ぼくたちの学びは生活とともにある。毎日は、絶え間ない学びの連続なのだ。学ぶことを活動の中心に据えて暮らす。そのスタイルは、とりわけあたらしいものではない。たとえば、明治30年に記された『福翁自伝』につぎのような一節がある。少し長くなるが、引用しておこう。

学問勉強ということになっては、当時世の中に緒方塾生の右に出る者はなかろうと思われるその一例を申せば、私が安政三年の三月、熱病を煩うて幸いに全快に及んだが、病中は括枕で、座蒲団か何かを括って枕にしていたが、追々元の体に回復して来たところで、ただの枕をしてみたいと思い、その時に私は中津の倉屋敷に兄と同居していたので、兄の家来が一人あるその家来に、ただの枕をしてみたいから持って来いと言ったが、枕がない、どんなに捜してもないと言うので、不図思い付いた。これまで倉屋敷に一年ばかり居たが、ついぞ枕をしたことがない、というのは、時は何時でも構わぬ、殆ど昼夜の区別はない、日が暮れたからといって寝ようとも思わず、頻りに書を読んでいる。読書に草臥れ眠くなって来れば、机の上に突っ臥して眠るか、あるいは床の間の床側を枕にして眠るか、ついぞ本当に蒲団を敷いて夜具を掛けて枕をして寝るなどということは、ただの一度もしたことがない。その時に初めて自分で気が付いて「なるほど枕はない筈だ、これまで枕をして寝たことがなかったから」と初めて気が付きました。これでも大抵趣がわかりましょう。これは私一人が別段に勉強生でも何でもない、同窓生は大抵みなそんなもので、およそ勉強ということについては、実にこの上に為ようはないというほどに勉強していました。
『新訂 福翁自伝』(「塾生の勉強」岩波新書, 1978, p. 80)

このような「緒方の塾風」は、ぼくたちが標榜するひとつのスタイルだ。当時はいささか粗暴で不衛生な場面がたくさんあったように思える。でも、好きなだけ本を読んで、気が済むまで語らい、お腹がすいたら食事をして、眠くなったら横になる。起きたらシャワーを浴びて、続きに勤しむ。そんな気風が「Hヴィレッジ」に漂いはじめるといい。学びと生活が一体化すること。それは、自分たちの時間をいままで以上に自在に使える贅沢を味わうということだ。あらかじめ提供されている「時間割」や学事日程には載ることのない、特別な時間が流れる。

30年前にキャンパスに通っていた卒業生たちは、机の上に突っ臥したり、冷たくて固い床に横になったりしながら、「残留」していたと聞く。時間を忘れるほどに、枕を忘れるほどに勉強に没頭していたのだろう。語らうことに夢中だったのかもしれない。すでに、かつての書生のような過ごし方が、ここには息づいている。そして、そのなかで培われた関係は逞しい。木立のむこうであたらしい暮らしがはじまれば、このキャンパスは、さらに面白い場所になるはずだ。