5歳

2023年5月5日(金)

🎏いくつになっても、誕生日は「こどもの日」だ。
ゴールデンウィークで授業や校務からはしばし解放されているものの、目下の課題は片づけである。そろそろ「シューカツ」を意識しはじめる年ごろなので、少しずつでも片づけをしないと大変なことになる。モノを捨てない、捨てられない質(たち)だ。だから、いろいろなモノがたくさん残っている。

ずいぶん前に着ていたレインスプーナーのシャツが出てきて、あ、これはまた着てみようかな、と思う。放置していただけでも「ヴィンテージ」になるわけで、でも袖をとおしてみたらピチピチで、そうか昔はこのシャツに見合う体型だったのかと、いまさら恨めしく思う。モノを手にしながら、いちいち過去と向き合うことになるので、片づけはなかなかすすまない。

こどものころに描いた絵も出てきた。そう、じつは、けっこう絵を描くのは好きだった。懐かしいマック(当時、ウチにいたダックスフンド)の絵を描いたのは、7歳のとき。よく姉と一緒に近所に散歩に連れて行った記憶がよみがえる。なぜか、にわとりが好きだった(途中からカエルになった)。小学校に、にわとりがいたのかな(よく覚えていない)。ことあるごとに、にわとりの絵を描いていた。レインボーのにわとりは、8歳のときに描いた。
他にも、何枚か絵が見つかった。どの絵にも、年月日が(少なくとも年だけは)記されている。これは、おそらく母のおかげなのだ。幼いころから、手紙でもグリーティングカードの類いでも、ちょっとしたものにも、とにかく日付を書くように言われていた。その意味や価値については、幼いころには考えてもみなかったが、いつの間にか習慣になった。
そういえば、高校生のとき、歴史の先生にレポートに日付が書いてあることについて褒められたことがある。レポートの内容にはあまり触れられなかったように思うが、日付を書くだけで(ぼくにとっては、もはや基本動作になっていた)褒められるなんて、なんだか不思議だった。いまは、その価値がよくわかる。日付が書かれているだけで、順序を辿りながら、過去のじぶんと出会うことができる。

絵づけした皿もある。毎年のように、「らくやき」に連れて行ってもらった時期がある。たいてい、姉と一緒に白いちいさな皿に絵を描いた。30分ほど経って受け取りに行くと、楽焼きになっている。いまでも「らくやき」の店はあるのだろうか。
絵皿の裏を見ると、いつ描いたのかがわかる。ヘリコプターは、4歳のとき。5歳、6歳と、この3年間の変化はなかなか面白い。6歳になると、ある程度の社会性を身につけるようになり、道徳性も成長するといわれている。いろいろ、客観視しはじめるのだろうか。他者のことを見て、じぶんとくらべるようになるのも6歳ごろだ(というのが、どうやら一般的)。なるほど、6歳のときに描いたのは、クルマと飛行機。なんだか「ふつうの男の子」のように見える。4歳のときのヘリコプターは、まだまだ幼い。個人的には、5歳のときに描いた光景が好きだ。黄色い家があって、背景は家々なのか木々なのか。そのころに、たき火を体験したのだろうか。たぶん、中心に描かれているのはたき火だ。全体の雰囲気も、なんだかいい。そう、他者のことはさほど気にせず、じぶん自身の「世界」をもっていた5歳が、すごくいい感じだ。

こどものころ、ぼんやりと、絵を描きながら暮らしたいと想った記憶がある。どのくらい本気で、そして現実的に考えていたのかわからない。それなら誰かに弟子入りでもして、厳しい修行に耐えなければならないというような話をされた。苦しい鍛錬が待っている、ハードルは高い、なかなか「食えない」といった反応が返ってきて、ビビって(というより脅されて?)、その道を考えることがなくなったのかもしれない。
もちろん、そう簡単に絵かきにはなれない。いくら好きでも、素養があるかどうかもあやしいものだ。高校生のころまで、ずっと美術は好きだったが、気づけば「ふつう」の大学生になって、あまり絵を描かなくなった。ぼくのなかの5歳は、いまどうしているのだろう。『ブラッシュアップライフ』ふうにいえば、ぼくは、いま何周目なのだろう。つぎの周回では、5歳のころに立ち止まって、どうしようかと考えるだろうか。

厄年というのは、新年を迎えると終わるのか。それとも、誕生日が境なのか。いずれにせよ、これで、いちおう厄年は終わるはずだ。
日付を書く習慣が身についたおかげで、50年以上前のことを一つひとつ想い浮かべながら過ごした。片づけは、全然終わりそうにない。ひさしぶりに目にした絵を見ると、7歳くらいから、日付のほかにイニシャル(FK)も記すようになっている(アルファベットを覚えたのだろうか)。そうか、あたりまえのことだけど、ぼくはずっとFKだった。しかも、ずいぶん長いあいだFKなのだ。
まぁとにかく毎日いろいろなことが起きていて、慌ただしい。5歳のFKにくらべれば、いかにも「ふつう」になって、身体の節々も衰えてきている。でも、もうしばらくFKをやってみよう。いくつになっても、誕生日は「こどもの日」だ。