ちいさな引っ越し

[02] 2020年4月4日(土)

2.1 オンラインを前提に考える

ここ数日で、さらに状況が変わってきた。残念ながら、いやな展開だ。ウチのキャンパスでは、「ロックダウン」ということばが聞かれるようになる前から、できる限り授業の「オンライン」開講をすすめる動きになっていた。まだまだ改善の余地はあるが、会議への遠隔参加、諸々の文書のやりとり・手続きなどの電子化について、日ごろの意識が高いので、「オンライン」開講を受け入れやすい土壌があるのだと思う。

数日前、「授業はどうなる」のなかで、〈オンライン—オフライン〉と〈オンキャンパス—オフキャンパス〉は、ぼくたちの学びについて、ことなる側面を際立たせるものだと書いた。ちょっと、修正(補足)が必要になった。
まず、「ロックダウン」が発令されると、キャンパスは原則として立入禁止になる。学生、教職員の健康や命を考えれば、当然のことだろう。一連の議論がはじまった頃には、なるべくキャンパスをまばらな環境にして、じゅうぶんに注意しながら〈オンキャンパス〉で開講する可能性も考えられていた。その可能性を残していたこと自体、危機意識が低かったのだと批判されるのかもしれないが、ぼくも、教室での開講を望んでいたし、可能なのではないかと思っていた。

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授業形態のバリエーション|「授業はどうなる」より→ https://kangaeru.iincho.life/entry/2020/03/30

 だが、ぼくの新学期のイメージは大きく改訂された。実際に、しばらくのあいだ、「ロックダウン」の発令がなくても、(特別な場合を除いて)学生、教職員はキャンパスへの立ち入りが禁じられることになった*1。この判断は、妥当なものだろう。
その上で、先日の記事に載せたダイアグラムを見直してみると、上半分、つまり〈オンキャンパス〉の部分は除外して考えていくことになる。まず、それが大きな修正だ。ぼくたちは、キャンパスに足をはこぶことなく「大学」を成り立たせなければならない。

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〈オフキャンパス〉を「大学」にする

 もうひとつ、このあいだの記事を書いたときは、もっぱら授業の開講形態のことを考えていた。そして、〈オンキャパス—オフライン〉という従来型の教室での授業と、〈オフキャンパス—オンライン〉のネットを介したコミュニケーションによる授業の二つのやり方が(協調的に)併存すると想定していた。さらに、その二つを組み合わせる形態も、試してみようと思っていた(たとえば、初回は教室で会って概要やすすめ方を説明して、あとはネットを介して授業、最終回にまた教室に集うというやり方)。だが、上述のとおり、ダイアグラムの上半分が塗りつぶされることになるので、〈オフキャンパス—オフライン〉のことを、もういちど見直しておこう。
〈オフキャンパス—オフライン〉は、フィールドワークやインターンシップ、合宿などを想定して書いていたが、家、つまり“Stay at home”のことをもっと考える必要がある。適切な距離を保ちながら(距離のことについては、別の記事で書く予定)、じゅうぶんに注意していれば、ちょっとしたフィールドワークはできると思っていた。しかしながら、このようすだと、家(自室)から出ることさえ難しくなりそうだ。だから、じぶんの部屋でも、リビングルーム、キッチン、あるいは庭でも、どこか適当な場所を見つけて、学習室や工房として使えるように整えておく必要があるのかもしれない。

2.2 引っ越し

当然のことながら、「大学」は、時間割に記載されている授業だけで成り立っているわけではない。図書館や研究室・実習室などで過ごす時間も、無視できないだろう。授業をはじめとするさまざまな活動の組み合わせと連なりがあればこそ、〈オンキャンパス〉で過ごす時間が豊かなものになっている。だから、授業だけを「オンライン化」するのではなく、他にもいろいろな〈オンキャンパス〉での活動を、家に持ち込む。持ち出しが許されている(そして、持ち運びのできる)機材や資料、書籍などの荷物をまとめて、ちょっとした引っ越しだ。

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先日、アメリカに留学中のN君(卒業生です)が、大学の研究室に置いてある機材を家にはこんで、自室を「ラボ化」する、引っ越しのようすをSNSに載せていた。なるほど、「巣ごもり」の準備をするのだと思って眺めていたが、この動きは、書き直したダイアグラムの左下のほうの活動領域を充実させる試みだといえる。もちろん、場所に強く結びつけられた研究もある。大がかりな実験装置や、あるいは特別な取り扱いが必要な資材を使うような場合には、簡単に“Stay at home”というわけにはいかない。そもそも、必要なモノや情報を大学の外に持ち出すことができないからだ。いま、そうした分野にかかわる学生や教員は、どのように活動を継続させるか、多くの制約のなかで頭を悩ませているはずだ。
いち早く「オンライン化」の準備をはじめて、自宅の書斎をスタジオのように設えている同僚、同業者もいる。なかには、書画カメラやグリーンバックのスクリーンまで用意して、授業の開始に備えている人もいる。ここのところ、ウェブカメラは品薄になっているとも聞く。講習会や情報共有ためのグループも、勢いづいてきた。

〈オンライン〉であっても、他人の目線は気になる。背景をぼかしたり画像を合成したり、“Stay at home”ならではの動きが活発になっている。部屋を整頓したり、〈オンライン〉になる前に身支度をしたり、家のなかでの暮らしも変容する。その意味では、ウイルスは、家での暮らしにもじわじわと侵食しているのだ。ずっと先送りにしていたいろいろな家事が、にわかに動きはじめる。ぼく自身は、会議への遠隔参加が増えてきたこともあって、このような騒ぎになる少し前に、オンライン会議用のカメラ(マイク+スピーカーと一体になったもの)を購入していた。なかなか調子がいい。部屋の本棚を背にして映るのにはちょっと抵抗があって、背景のスクリーン(書き割り)のようなものをつくってしまった。

多くの大学が、(その方針に差はあるものの)今年の春学期は、できる限り対面の授業を避ける方向で動いている。ちいさな引っ越しが順調にすすみ、家にいてもネットワーク環境が整っていれば、ぼくたちは〈オンライン〉と〈オフライン〉を自由に行き来しながら学ぶことができる。〈オフキャンパス—オフライン〉のところ(左下)を、“Stay at Home”を前提に考えると、素朴には、従来のことばでいう「自習」ということになるのだろうか。たとえば、あらかじめ指定された本や資料を読んで、レポートを書き、添削やコメントが戻ってくるというやり方だ。この方法への移行は、やや乱暴だが、簡単にできる。リアルタイム配信あるいはオンディマンド配信だけでも、面白くないだろう。学生たちの通信回線の状況をきちんと把握しながら、あたらしい“Stay at Home”について考えてみたい。ここが、ぼくたちの想像力が試されるところだ。

家の「ラボ化」がすすめば、一人で実験やものづくりなど、さまざまな思索と試行をくり返すことができる。場合によっては、あえて外部とのやりとりを遮断して〈オフライン〉で没入したほうがいいのかもしれない。そして、定期的に進捗について〈オンライン〉でやりとりする。そのあいだの時間は、適当なタイミングでお互いのようすを伝え合ったり、「見せっこ」したりすればいい。その実験的な暮らしをしばらく続けてみると、「〈オンキャンパス〉とは何か」について、あたらしい理解を創造できるはずだ。

大学にとって、事務職員はとても重要な役割を果たしている(いつも、ありがとうございます)。とくに年度のはじめは、あたらしい学生をむかえるためのガイダンスや事務手続きがたくさんある。もちろん、「事務室」が閉室ということになっても、事務的な業務がストップするわけではなくて、できる限りテレワークに切り替えていくということだ。だが、一連の複雑な業務のプロセスは、基本的には「事務室」のなかで動くように設計され、長きにわたって続けられてきた。個人情報などさまざまな情報が、部署ごとに管理され、取り扱いには決まりごとがある。だから、事務系の業務についても、ちいさな引っ越しがはじまりつつある。

考えることは山ほどある。ぼくたちの健康や命の問題のみならず、「大学」そのものが生き延びるために、想像力が試されているのだ。

(つづく)

イラスト:https://chojugiga.com/