授業はどうなる

[01] 2020年3月30日(月)

1.1 はじめに

昨日は、朝から雪が降っていた。いつもなら、卒業式や入学式で心の温まる場面がたくさんあるのだが、今年はちがう。満開の桜が、冷たい雪で覆われてゆく。クルーズ客船のダイヤモンドプリンセスが、横浜港に停泊したのが2月3日なので、すでに2か月近くにわたって、新型コロナウイルスに翻弄されていることになる。しかも、日ごとに状況が変わる。
昨秋から、あたらしい役目で仕事をするようになったので、学事日程のことをはじめ、諸々の調整や連絡で時間をうばわれている。いっぽうで、いくつもの予定が延期や中止になったので、時間の使い方そのものが変則的になった(もちろん、ヒマだということではない)。さまざまな場面で意思決定にかかわる立場ではあるものの、「コロナと大学」では、いち教員として、授業のこと、学生とのコミュニケーションのことなど、日常の変化について備忘もかねて綴っておきたい。

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入学式の延期は、2月の末に発表された。そのことから、ガイダンスや履修登録などの手続きも、授業開始も、予定より遅れることが予想された。いま、ぼくたちは、ある日を境に「もうだいじょうぶだから安心してください」などというわけにはいかない、先の見えない問題に向き合っている。今後は、問題と「ともに居る/生きる」ことが求められるのだろう。各国の動きを見ていると、残念ながら、見とおしは明るくない。ぼくたちは、しばらく「コロナとともに居る」ことになる。
春学期の授業開始がいつ頃になるのかわからないまま、いち早く、授業の「オンライン化」をすすめようという議論がはじまった*1。言うまでもなく、授業の「オンライン化」は、技術的な側面のみならず、制度的なことにも深くかかわっている。そして、授業の内容や教授法にも直結している。「オンライン化」ということばで連想される授業形態は、学生、教職員によって、ずいぶんちがうようだ。実際に、「オンライン化」をめぐっては、いろいろな反響がある。

じぶん自身の(望ましいと思える)教授法があって、そして、そもそも教室で授業をおこなうことが「あたりまえ」であればこそ、(事情は理解しているつもりでも)いきなり「オンライン化」に向かうことに抵抗があっても不思議ではない。だが、いまの状況を鑑みて、なにより大切にしなければならないのは、学生、教職員の健康(そして命)である。だから、「あたりまえ」ではない方法を試して、避けるべきだとされている状況(換気の悪い密閉空間・多くの人の密集する場所・近距離での密接な会話)を、減らすことだ。つまり、できるかぎり学生の移動を減らし、人のまばらなキャンパスをつくるのだ。ぼく自身は、「あたりまえ」がすぐに戻ってくることを願っているが、ここ1週間ほどで、だいぶ意識が変わってきた。

1.2 授業形態のバリエーション

春学期の授業はどうなるのだろう。まずは、授業形態のバリエーションについて、以下の2つの側面から整理しておこう。

◎オンライン—オフライン

どのようなコミュニケーション(コミュニケーション方法)をえらぶか。オンラインは、ネットワークを介してつながるやり方だ。近年、会議への遠隔参加の機会は増えている。授業となると、だいぶ勝手がちがうが、いまやスマホを介してさまざまな情報が日常的にやりとりされているのだから、オンラインで授業を配信することは不自然ではない。同時配信なのか録画配信なのか、どこから配信し、どこで視聴するのかなど、いくつかのやり方が考えられる。いっぽうのオフラインは、基本的には対面(フェイス・トゥ・フェイス)のコミュニケーションを指す。

◎オンキャンパス—オフキャンパス

どこで講義をするか/受講するか。文字どおり、キャンパスで(通常は、あらかじめ決められた教室で)授業がおこなわれるような場合は、オンキャンパスと呼ぶことにする。オフキャンパスは、キャンパスの「外」でおこなわれる授業で、たとえば「正課」の一部として学外でフィールドワークを実施するような場合もふくまれる。

これらの二つの側面にもとづいて考えると、授業形態のちがいを際立たせることができる(図)。

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授業形態のバリエーション


(1)まず、〈オンキャンパス—オフライン〉(左上)は、従来型の教室でおこなう授業だ。ここのところ、日に日に状況が動いているが、これはできるかぎり避けたほうがよさそうだ。もちろん、内容によっては、実際にキャンパスで対面で(さらに身体的に接近しながら)実施するのが望ましい授業もある。「ゼミ(研究会)」などは、そもそもが「濃厚接触」を前提としているようなもので、どのように対応するかについては、じゅうぶん注意しながらすすめたい。

(2)その対角にあるのが、〈オフキャンパス—オンライン〉だ(右下)。つまり、学生がキャンパスに通うことなく、自宅から受講できるように授業を整えるという方向性だ。慣れないことは多いが、これを機にオンライン化を試してみよう。後述するが、学生たちの自宅や下宿での通信環境については、よく考えておかなければならない。

(3)さらに事態が深刻になって、たとえばキャンパスへの立入が制限されるようなことがあると、〈オンキャンパス〉での開講自体が難しくなる。(じゅうぶんに注意しながら)キャンパスを利用することができるなら、〈オンキャンパス—オンライン〉という授業形態もありうるだろう。通信環境・通信コストの問題は、学生たちがキャンパスまで来ることさえできれば解消できるからだ。この場合、時間割で指定された教室ではなく、視聴に適した教室を設けるなり、あるいは学生の都合で(キャンパス内の)好きな場所から視聴するなり、柔軟に考えることができそうだ。先日の会議でも話題になったが、ウチのキャンパスのWiFiは、だいたい全域をカバーしているので、天気がよければ屋外も使える。通信環境のみならず、快適性などもふくめて、学生たちがそれぞれのお気に入りの場所を見つけてくれるにちがいない。
一人でスマホの画面を眺めるのは、教室で友だちと並んで受講するのとはずいぶんちがうが、それでも、同じタイミングで、キャンパスのどこかで友だちも受講していれば、ある種の一体感が生まれるはずだ。

(4)そして、〈オフキャンパス—オフライン〉についても、ケアが必要だ。に。ここには、フィールドワーク、インターンシップ、合宿など、さらにはサークルなどの活動もふくまれる。厳密にはそれぞれ扱いがちがうかもしれないが、「学外活動」として位置づけられるものだ。また、ものによっては「課外」の場合もあるので、一人ひとりの意識と行動が、いっそう問われることになる。

(5)それぞれの可能性を組み合わせた〈ハイブリッド〉ともいうべきやり方もある。たとえば、大部分の講義は〈オフキャンパスーオンライン〉で提供し、学期末の試験のときは〈オンキャンパスーオフライン〉でおこなうようなスタイル。試験のときにかぎらず、学期中に数回は、教室でフェイス・トゥ・フェイスで集うような授業計画もあるだろう。

コロナウイルスは、考えるきっかけだ。大学での授業がどうなるかという、目の前のことだけではない。コミュニケーション、移動(移動性)、場所、旅、フィールドワーク、社会的距離などなど、じつは、じぶんがふだん考えているテーマに直結している。それは、結局のところは「人間らしさ」について、あらためて問い直すきっかけなのだと思う。散漫になるかもしれないが、少しずつ書き留めておこう。

(つづく)

イラスト:https://chojugiga.com/

*1:3月18日付けで、授業開始が4月30日に決まった(正式アナウンス)。ウチのキャンパスでは、状況の悪化に備えて、すでに「オンライン化」についての議論は、はじまっていた。3月19日付けで「総合政策学部/環境情報学部/政策・メディア研究科における 新型コロナウイルス感染症に対応した授業実施について」が掲載された。