いまこそ、コミュニケーション。

SFC生の皆さんへ、新型コロナへの対応状況について | 慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス(SFC) より転載。

2021年5月21日(金)

あっという間に春学期も後半です。学期がはじまって、最初の数週間は、オンキャンパスの授業でみなさんに会うことができました。ひさしぶりの教室で高揚感を味わったものの、緊急事態宣言の発出に先駆けて、授業をオンラインに移行することが決まりました。ゴールデンウィークを経て、いまだに落ち着かない日が続いています。

他キャンパス・他大学の状況とくらべたり、あるいはまちを歩いたりすると、複雑な気持ちになります。制限されることがたくさんありながら、余所とくらべると、不公平だと感じることもあるでしょう。

ぼくたち「3役」は、それぞれの考え方や物事のすすめ方はちがうものの、なにより、いま直面しているのは人の命にかかわることだという理解のもとで、一連の判断をしています。授業の開講形態やキャンパスをはじめとする施設利用についての方針は、慶應義塾の判断をふまえながら、SFCの特質を考慮して決めることになります。データにもとづいていても、将来を正しく予見できているとはかぎりません。むしろ、先のことはわからないものとして受け入れ、そのなかで決めるしかありません。

おそらく2人の学部長には、ぼく以上にたくさんの質問や意見が寄せられているのではないかと思います。一人ひとりの事情を聞き、一つひとつの事案を熟知すると、いま提示されている「ルール」や「決まりごと」は、ものすごく窮屈に思えることもたしかです。ただ、何も起きなければ、あとから胸をなでおろせばよいだけです。何かが起きてからでは、もう遅い。とにかく、ぼくたちの「キャンパスライフ」を守りたい。そう思っています。

そんななかで、最近、いろいろなことを考えます。たとえば、ぼくたちをとりまく社会状況が絶えず移ろい、「唯一の正解」のない複雑な課題が目の前に現れるとき、どのようなリーダーが求められるのか。いまのような状況下で、人びとは強力なリーダーを求め、強いことばを欲するようになります(ぼく自身は強いことばを発するのは不得手なので、そもそもイマドキのリーダーには向いていないのでしょう)。

強いことばは人びとを束ねて一体感をもたらしますが、ともすれば、ぼくたちは過度にリーダーに依存するようになり、自らが考えることを放棄してしまうかもしれません。それは、自立・自律への志向を失うことにつながります。また、強いことばによって曖昧さや揺らぎを許容できなくなり、分断を生むこともあります。

だからこそ、「3役」が、それぞれちがったことばでメッセージを綴ることに意味があるのでしょう。ときとして、決断が遅れたり、混乱を招いたりすることもありますが、〈多声〉を尊ぶことが大切です。いくつもの〈声〉に耳を傾け、自らも〈声〉を発する。それによって、ぼくたち一人ひとりが自分でよく考え、賢くふるまうようになります。さまざまな情報が、複数の経路やタイミングで提供されることもあるので、もう少しスッキリすべきだと思っています。その状況は少しずつでも改善されると期待しつつ、日に日に更新される情報をきちんとつかまえて、よく読んで行動につなげる。それを基本動作にしましょう。

もうひとつ気がかりなのは、最近、ぼくたちのコミュニケーションがちょっと雑になっているように思えることです。オンラインのコミュニケーションが圧倒的に増え、そのよさを体験的に学んできました。よく指摘されることですが、効率性や利便性を享受するいっぽうで、さまざまな「余白」がそぎ落とされていることもたしかです。「メールに書いてあります」「ウェブを見ておいてください」などと、あちこちで、乾いた事務的なメッセージが増えているように見えます。COVID-19のせいで、ぼくたちの人間性が露わになっているのかもしれません。

でも、そんな理由で、ぼくたちが不親切になってしまうのはなんだかヘンな話です。他者への想像力は、忘れずにいたい。たとえ離れていても、画面越しであっても、自分を成り立たせている誰かが、かならず向こう側にいます。いつも以上に、つまり、いまこそ、コミュニケーションに自覚的に暮らすことが求められているのです。声をかけあうこと、名前を呼び合うことの大切さは、つねに意識していたいと思っています。ギスギス、トゲトゲは避けなければならない。ぼくたちのちょっとした心がけと工夫で、窮屈な気持ちは和らいでいくはずです。

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