歳月

2021年3月6日(土)

けっきょく、「緊急事態宣言」は再延長された。まちは少しずつ春めいて、道ゆく人の姿が多くなってきた。大学生は春休み、そして卒業シーズンである。いずれふり返るときが来るはずだと思って日々のようすを記録しているが、季節はめぐり、気づけばCOVID-19との暮らしは2年目をむかえている。

2014年の秋、西村佳哲さんにお声がけいただいて、海士町(島根県隠岐郡)で過ごす機会があった。そのとき、「NPO法人 いんしゅう鹿野まちづくり協議会」の小林清さんと出会った(他にも、素敵な人たちと知り合った)。そのつながりで、翌年の秋には、学生たちとともに小林さんのいる鹿野町(鳥取県鳥取市)に出かけることになった(ついでにというのもヘンだが、勢いを増しつつあった「カレーキャラバン」も実施した)。
それが、すでに6年前である。その後も、出張で東京にいると連絡があって飲みに出かけたり、西脇(兵庫県)でカレーをつくっているところに足をはこんでくれたり、つかず離れずでお付き合いいただいている。いつも、小林さんのほうからメッセージが届く。ぼくのほうは、近況報告さえ怠っていて、なんとも非礼ばかりである。いつも、感謝と申し訳なさにつつまれる。
昨年の夏、小林さんからメッセージが届いた。「NPO法人 いんしゅう鹿野まちづくり協議会」が、20周年を迎えるという。その記念誌への寄稿の依頼だった。もちろんお断りする理由は見あたらず、むしろ、ムリを言って学生たちと鹿野におじゃましたのだから、とても光栄なことだ。またしても、感謝と申し訳なさをかみしめながら引き受けた。
秋口がしめ切りだったのに先延ばしにしていて、いよいよ書かなければと慌てているところで、ウチの学事システムのトラブルを理由に(実際に、あれは「事件」ではあったが)、結局のところ入稿が遅れてしまった。短い文章だが、鹿野に行った日のことを思い出しながら、綴った。そうだった、出発の朝、羽田空港のラウンジでコーヒーを飲んでいたら、八馬さんに出くわしたのだった(偶然、八馬さんも同じ便で鳥取に行く用事があったとのことで、時間をつくってカレーを食べに来てくれた)。忘れてしまったこともたくさんあるが、いきいきと思い出すことのできる情景もある。

数日前、書影がネットで公開されていて、20周年の本が無事に完成したことを知った。まだ手に入れていないが、表紙には「鹿野のまちづくり 20年の挑戦」とある。なるほど、ぼくは、小林さんたちの活動の道行きで、ほんの一瞬すれ違ったにすぎないのだ。それでも、とても尊い活動であったことはわかる。地に足をつけて、まちを想いながら過ごしていれば、20年というのは、それほど長い時間ではないのかもしれない。人とともに変化し成長するのに、そのくらいの歳月は必要なのではないか。そんなことを考えた。

そして、小林さんとの出会いからさらに10年遡って2004年の秋。ぼくは学生たちとともに、柴又(東京都葛飾区)の界隈に出かけていた。これも、友人からのメッセージがきっかけになって実現した活動だ。ちょうど、カメラ付きケータイをつかった社会調査について考えはじめたころ。いまでこそ、さまざまな機能が集約されたスマホを片手に暮らしているが、当時は、ケータイのカメラで身のまわりのようすを写して送信する、そのこと自体が(ただそれだけで)面白かった。大げさなカメラを提げて出かけるのではなく、ケータイを片手にフィールドワークを実践できるなら、それは調査のありようを変えてゆくように思えた。Instagramがリリースされる、5年ほど前のことだ。
そのご縁で、たびたび柴又に足をはこぶようになり、帝釈天へと続く参道に並ぶ店の店主たちともやりとりする機会ができた。そのつながりで、老舗の「川甚」でごちそうになったことがある。「川甚」は寛政2年創業とのことなので、230年の歴史がある。寅さんの妹、さくらの結婚披露宴の舞台になった店だ。
学生たちとともに(20名近くはいたのだろうか)、「川甚」の大きなお座敷で食事をした。なんだかバブリィーな感じもするが、たしかおみやげまでいただいて帰路についたのを覚えている。学生たちが界隈に散って、カメラ付きケータイで柴又の日常を記録するという、ぼくたちにとっては実習の機会だったが、想像していなかったかたちで歓待され、よろこばれた。不思議なものだな、と思ったのを記憶している。
「期待される効果」や「学術的な貢献」を調査の企画書に書いても、それほど相手にされず、むしろ否定的な反応さえ多いことに閉口気味だったのに、面白そうだという想いだけでフィールドワークをすすめて成果をまとめたら、思いのほか感謝された。その体験に背中を押されてはじめた「キャンプ」の活動は、いまへと連なっている。20年には届かないが、すでに15年以上続けているのだ。

COVID-19のせいで、あの「川甚」が1月末に閉店したというニュースを目にした。なんとも残念なことだ。幸い、区が土地と建物を取得して「文化的景観を守るため、有効活用していく」とのことだ。すぐに駐車場やマンションに姿を変えることはなさそうだ。さっそくSNSを介して、卒業生たちとニュースを共有した。あのころの大学生は、いまは30代後半(その分、ぼくはもうアラカンなのだ)。しばらく柴又に足をはこぶ機会がなかったものの、すぐに15年前に引き戻された。お座敷のようすが目に浮かんでくる。

なぜか「回想シーン」が増える。まだそんな歳ではないだろうと思いながら、COVID-19のせいで、あれこれとふり返る時間が増えているのかもしれない。
どうしても、スピードや効率に光が当たりがちだ。とくにウチの職場はそれを鼓舞し、駆り立てる。ぼくは、静かに反発している。小林さんたちの20年は、たとえ分厚い本に凝縮されているとしても、そう簡単に熟知することはできないだろう。230年の歴史を背負った老舗には、簡単に断つことのできない時間が流れている。まちや人びとの暮らしを理解するためには、(短くとも)数十年という歳月が必要なのだ。

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写真は2015年9月26日。鹿野町「しかの心」。