迎春

2021年1月2日(土)

いまの状況が、これほど長くつづくとは思っていなかった。去年のいまごろは、あたらしい役目を担うようになって2か月、いよいよ本格的にがんばろうという気持ちが高まっていた(もちろん、いまでもその気持ちはある…)。学期末のドタバタが終わって、ほどなくCOVID-19に翻弄され、授業も会議もオンラインに移行し、そのまま春学期を終えた。夏の終わりにはシステムのトラブルにも見舞われ、ドタバタしながら学期末に。いろいろなことを中止したり延期したり、多くのことをあきらめたりせざるをえなかった。そして、気づけば2年間という任期の半分くらいはトラブル対応に時間もエネルギーもうばわれていた。
オンラインの授業には慣れてきたが、どうしても平板な感じがする。今学期は、滞在棟をつかう(合宿型の)授業は実現しなかった。高校生たちと半日にわたってワークショップをおこなう「未来構想キャンプ」は、10年目にして初のオンライン開催に。学生たちと全国を巡るフィールドワークは中断。平均すると春・秋それぞれの学期で2か所、つまり年間に4か所というペースで10数年つづけてきた。47都道府県の踏査を目指しているが、コンプリートは先延ばしになった。「カレーキャラバン」の活動も、9年目を迎えたところで足踏み。一昨年の夏に調理用の器財やスパイス一式をしまったままだ。同僚たちと「郊外型キャンパス」のよさを味わおうと開いている、月に1度の集まり(昼食会)も「会食なし」の近況報告の会になった。

これだけ見ても、ぼくの生活にはつねに「密」な活動がたくさんあったことがわかる。じつは、ぼくだけが特別だというわけでもなく、多くの人の日常生活は(程度の差こそあれ)「密」な関係によってつくられているのだと思う。つまりは、コミュニケーションだ。春からは、オンラインでのやりとりが一気に増えた。最初は、ビデオに映り込む背景のところを重点的に整理整頓した。何人かの同僚たちは、あたらしい機材を購入したことを(やや興奮気味に)SNS上で披露している。家がスタジオに、あるいはラボに変わっていくようすが伝わってきた。ぼくは、自室がデイトレーダーの部屋のように機器で埋まっていかないように、むしろのんびり過ごせるように小ぶりの机とイスを新調した。考えてみれば、ここ数年は仕事から帰るとすぐに眠ってしまうスタイルで、自室でゆっくり過ごすことはあまりなかった。
家で過ごす時間が増えたので、いままで先延ばしにしていた片づけや補修などにも目が向くようになった。10年くらい酷使してきた冷蔵庫やエアコンが、タイミングを見計らっていたかのように、立て続けに具合が悪くなったので買い換えた。古くなって、もう袖をとおさなくなった洋服もまとめて寄附した。比較的規則正しい生活を送り、外食が減ったおかげで体重も減った。睡眠時間は、少し長くなったように思う。一つひとつはちいさなことのようだが、束ねてみるといろいろな変化があった。
旅行(出張)、フィールドワークやインタビュー、対面の授業、合宿、飲み会、食事会など、さまざまな「移動」や「集まり」をあきらめたら、家が片づいて体調がよくなった。すべて、もとはといえばCOVID-19のせいだ。

あきらめたこと(あきらめざるをえなかったこと)を、少しずつでも取り戻したいという気持ちはある。たとえば秋学期の後半には、キャンパスで対面の授業をおこなった。もともと、じぶんだけちょっと高いところから話すというのはあまり好きではないのだが、ずいぶんひさしぶりの景色だった。前方から教室を見渡すと、50数名の学生たちがこちらを向いて座っている。ただそれだけのことが、とても嬉しかった。学生たちに、救われたような気持ちになった。

いっぽう、このさい何かをあきらめたり手放したりすることも大切なのではないかと思うようになった。「あたりまえ」なことは、ごく自然に疑いなく受け容れている。だからこそ、「あたりまえ」だったことは手放しがたい。どうしてもあきらめきれずに固執するのだ。フィールドワークやインタビューなどの調査研究の設計は、過去の事例をもとに構想する。シラバスも授業も、前年度の実績をふまえて微調整をおこなう。
10数年かけてつづけてきたこと、つくってきたことは、もちろん善かれと思ってはじめた。これまでに、いろいろな工夫を重ねてきたことの所産である。だがそれらはすべて、最初はほぼ何もないところからはじまっている(はじまっていたはずだ)。COVID-19にくわえて、学事のシステムがダウンしたおかげで、いろいろなことが「リセット」されたようなものだ。いままでのような「移動」や「集まり」を(ひとまず)あきらめて、オンラインもオンサイトも考える。さて、何からはじめればよいのだろう。

まずは、〈ことば〉にすることだ。いままで以上に、〈ことば〉について考えなければならないという想いになっている。〈ことば〉によって人は揺さぶられる。傷つくことも喜ぶこともある。そして、癒やされることもある。できることなら、慈愛に満ちた文章を綴れるようになりたい。こうやって「あたりまえ」のように文章を書いているが、知らないうちにいまのような文体になった。不思議なことだ。
検索もコピペもしない。原稿用紙のひとつ一つのマス目に、文字を配置してゆく。梅田さんの本にあるとおり*1、原稿用紙だと、書きながらじぶんの位置を知ることができる。書こうとする〈世界〉をあらかじめひとつの〈空間〉として設定して、文章を構築する。あらためて、じぶん自身の文章表現に向き合ってみようと思う。

ドタバタしながらも無事に年越し。みなさんにとって佳い年になりますように。🙇‍♂️本年もどうぞよろしくお願いします。

f:id:who-me:20201223083754j:plain写真は2020年12月23日。朝の鴨池。

*1:梅田卓夫(2001)文章表現 四〇〇字からのレッスン(ちくま学芸文庫)