秋色

2020年11月7日(土)

いま、キャンパスは秋色につつまれている。新緑のころも好きだが、この時期も、とても美しい。ハプニングに見舞われて一週間遅れで秋学期を迎え、早くも折り返しというところだろうか。夏休み後半の「特別研究プロジェクト」のころから、少しずつ学生たちとキャンパスで会えるようになって、その流れで秋学期の「研究会」はキャンパスで開講することにしている。くわえて、オンラインの講義を大学から配信したり、打ち合わせや会議のほうも対面の機会を増やしたり。
アメリカの大学の事例などを目にして、ウチも秋学期になってキャンパスを開けたら、またすぐに閉鎖になりはしないかと、やや悲観的なシナリオも頭の片隅にあった。ならば、許されているうちに、いまのうちに、キャンパスを使っておこう。そんな、ちょっと投げやりなことを考えていたのかもしれない。

もちろん、防疫対策は第一である。学生たちはおよそ半年ぶりに「通学」を体験するのだから、心理的な抵抗感もあるはずだ。最近は、駅も、電車やバスもそれなりに混雑している。いっぽうでキャンパスは開放的で、自然に恵まれているので心にも身体にも優しい。つまり問題は、キャンパスとの行き来だということが、あらためて際立つ。
初回の「研究会」は、「外」で集まった。教室はやや窮屈な感じがしたし、なにより、この時期は気持ちがいい。芝生に腰をおろして、池を臨みながら、ひさしぶりの「研究会」だった。みんなマスクをつけて、間隔を空けて並んでいる。ちょっと不思議な光景ではあるが、マスクも“社会的距離”も、この半年であたりまえになってしまった。
やはり、すぐそばに、手を伸ばせば届きそうな距離に、学生たちを感じることができるのは大事だ(もちろん、近づくことは許されないのだが)。プレゼンテーションの声はこもりがちで、表情も隠されている。それでも、やはりキャンパスはいい。

ここ10数年は、学期中に(少なくとも)2回は、学生たちと一緒に宿泊をともなう形で、全国のまちへと出かけていた。続けているうちに、白地図を塗りつぶすようになった。昨年の冬には宮崎県に出かけ、その時点で、あと8府県に出かければ、47都道府県を踏査するところまできた。だから、その目標は早ければ2年後に訪れるはずだった。ちょうど、いまの3年生が卒業するタイミングで、“コンプリート”を祝う場面が来る。いよいよ具体的になってきたのだが、今年になってから、その動きは完全に止められてしまった。
フィールドワークでは、多くの場合、地方のまちに暮らす、(どちかというと)年配のかたがたに話を聞く。交流会のような場面があれば、同じ鍋を囲んで飲んだり食べたりする。宿では、一緒に顔をつき合わせて成果をまとめる作業をすすめる。「三密」で成り立ってきたようなものだから、いまは静かにするしかない。しかも、20名近くの学生が県境を越えてやって来たとなると、どのような反応があるのか。おそらく、歓迎されることはないだろう。

だが、いろいろと工夫をしながら、フィールドワーク(実習)を再開することにした。動きを封じられて、じっとしていることが、難しくなってきたのだ。10月の中旬に「人びとの池上線」というプロジェクトを実施した。原案は、夏の「特別研究プロジェクト」に参加していた学生たちのものだ。
「人びとの池上線」は、今年の初めに若くして他界した(そのこと自体、知らずにいた)Jason Polanの「Every Person in New York」を敬愛しながら、東急池上線の各駅で、人びとのようすを観察、記録する試みだ。駅ごとの個性も表れるはずだが、同時に、マスクをつけた人びとの様態の記録にもなる。まさに2020年の秋の人びとのようすを、とらえることになる。そして、22名の学生たちが、どのように人びとを写しとったか(どのように人びとをスケッチとして定着させたか)を一覧できるのも楽しい。個性が滲む。
五反田駅から歩いてすぐのところにある、“五反田ふれあい水辺広場”で成果報告会を開くことにした。観察とスケッチは、それぞれがペアでおこない、その晩のデータの仕上げは一人ひとりが個別に、そして最後は全員で集まって対面の成果報告会。ペアごとに経過を報告して、駅の順番に、印刷されたスケッチを地面に並べていった。駅のようすをとらえたスケッチが横に広がっていって、「池上線」としての連なりが見えてくるようだった。
最後は、みんなで路線状に並べたスケッチを囲んで、話をする時間を設けた。成果報告会そのものは、一時間ほどだったが、最後にみんなで集まったのはよかった。総じて、今回の試みは、ほどよい感じで実施することができた。オンラインとオンサイトを組み合わせながら、人混みを避け、作業量も適度だった。
すべてが事前に計画されていたわけではないが、一連の流れをふり返ってみて、あたらしいやり方が見えてきたように思えた。春学期にくらべれば、ずいぶん自由な感覚を味わうことができた。「非接触型」のフィールドワーク(実習)については、もっといろいろな可能性がありそうだ。

大学院の授業のほうは、「完全オンライン」で開講している。オンラインなので、1・2時限に設定した。今年は、英語で授業。大部分が留学生ということになったので、「調査研究設計論」という内容はもちろんだが、オリエンテーション的な役割を果たせればいいと思っている。とりわけ今年の秋に入学した留学生は、入学式もガイダンスもないまま、学期を迎えている。
じつは春学期もそうだったのだが、あの頃は、ぼく自身に余裕がなくて、ドタバタと時間が過ぎてしまった。さすがに半年で慣れてきたこともあって、少し余裕があるのだろう。15名ほどのちいさなクラスだが、留学生どうし、知り合う機会になって、さらに大学院生としての生活全般のことについても、話せるようになるといい。いまの役目がそうさせているのか、それともいい歳になったということか。遠くから静かに見守る、オジサンの立ち位置である。いずれにせよ、心理的な安全を確保してこそ、暮らしも授業も成り立つのだから、微力ながらも丁寧に向き合おうと思う。

キャンパスに行く機会が増えて、ふたたび、毎日の過ごし方について考えるようになっている。春学期は、窮屈や不便を強いられて、基本的には「ステイホーム」だった。だから、じつはあまり悩む必要はなかった(悩みようがなかった)。「家・内(うち)」のなかで、すべてが完結していた。最近は、同じ一日にオンラインとオンサイト(オンキャンパス)が同居するようになってきた。(じつは前からそのようなことはあったはずなのに)どのタイミングで動くか、どこに「いる」のがいいのか、移動についてあれこれと考える場面が多くなった。

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写真は2020年11月4日。雲ひとつない秋の空だった。