まるたか

2022年9月13日(火)

SOURCE: まるたか|政策・メディア研究科委員長 加藤 文俊 | 慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス(SFC)

突然のことだった。9月7日の夕刻、同僚の高汐さんから1枚のスクリーンショットが送られてきた。見れば、なじみのある店のページで、赤い文字で「閉業」と書かれている。学生が話題にしているとのことで、直接確認したわけではないようだ。ぼくは、ちょうど帰るところだったので、立ち寄ってみることにした。近くにいるのだから、自分の目で確かめるしかない。
水曜日は定休日ではない。誤報であることを願ってはいたが、看板の電気は点いていなかった。「本日休業」の札が提がっていて、脇にあるサッシの扉には貼り紙が見える。何が書いてあるのだろう。ロープが張られていたので、近づくことはあきらめた。駐車場のほうはがらんとしていて、自動販売機の灯りだけが浮き立つ。夜の7時くらいに「どうやら本当ですね」とメッセージを返し、現場のようすを写真に撮って添えた。

外観はログハウスなのに、中身は海鮮の店である。ちょっと不釣り合いな感じがするのは、前身が「ログイン」というレストランカフェだったからだ。「ログイン」は、(記録によると)SFC開校3年目(1992年)の秋にオープンした。いまでも、界隈にコンビニができるだけで大騒ぎするのだから、当時はかなり大きな「事件」だったにちがいない。
キャンパスのすぐそばにありながら、「学生街の喫茶店」になるのは容易ではなかったようだ。やがて「ログイン」は「まるたか」に姿を変えた。座敷の部分は、ログハウスに合わせて増築されたのだろう。キャンパスの近所で食事をするとなると、ほかに行く場所がない。だが、たんに近くて便利だったというわけでもない。水産会社が経営していることの強みで、ぼくたちは、味にもボリュームにも満たされた。学生や教職員のみならず、地元の常連たちにも愛される場所だった。週末になると、駐車場で警備員が誘導するほどに賑わう。「湘南」に遊びに来た人たちが立ち寄る穴場だったのかもしれない。

ぼくも、「まるたか」にはたびたび足をはこんだ。一番多かったのは、「研究会」のあとだと思う。ひと区切りして、何人かの学生とともに食事をしようという流れになる。同じようなタイミングで他の「研究会」も終わるので、ドアを開けるとテーブル席に知った顔を見かける。奥の座敷に行くと、たいてい同僚や学生のグループが食事をしていた。軽くことばを交わしたり、手をふったり。隣のテーブルから聞こえてくるウワサ話も気になる。何度も行ったはずなのに、スマホを探ると、「まるたか」で撮った写真は10数枚だけだった。結局、3年前の冬を最後に、もう行けなくなってしまった。

ぼくは、現場の写真をSNSにアップした。それほどフォロワーがいるわけでもなく、日々の戯れ言を気まぐれに載せているくらいだ。とくに「いいね!」やリツイートを期待していることもない。なのに、思いのほか反応があった。
知らない(思い出せない)学生、すっかりご無沙汰している卒業生、これまでに一度もコメントをもらったことがない(と思う)同僚も。予期せぬかたちで、みんなが相変わらず元気であることを知った。寂しげな「まるたか」の写真に、閉店を惜しむことばや「大泣き」の絵文字が並ぶ。これまでのぼくの書き込みで、一番盛り上がったのかもしれない。

この2年間、画面のなかに幾度となくつくられてきた「教室」は、「終了」のボタンを押すたびに消えてしまった。少しずつ対面で集う機会が増えてきて、秋学期からは、キャンパスで過ごす時間がさらに増えると思っていた矢先の「事件」だった。「ログイン」から、ちょうど30年。

たくさんの反応を見ながら、ぼくたちの思い出が、場所の記憶と分かちがたく結びついているということを、あらためて実感した。いうまでもなく、「まるたか」と聞いて思い出すのは味だけではない。きっと、誰かの顔が目に浮かぶはずだ。プレゼンテーションが上手くいかなかった日かもしれない。屈託のない笑い声につつまれていたこともある。教室での議論がまだ続いていた日もある。「まるたか」のテーブルを囲んで集まった情景が、いくつもよみがえってくる。

多くの卒業生たちが、鴨池を愛おしく語るのも同じだ。七夕祭で見上げた花火も、残留中に向かった真夜中のコンビニも、夕陽に浮かぶ富士山のシルエットも、すべてがリアルだ。いずれも、キャンパスに行かなければ、えることのできない体験なのだ。その一つひとつが、身体にしみ込んでいる。

朝夕は、ずいぶんしのぎやすくなった。あと数週間もすれば、あたらしい学期がはじまる。