2021年5月5日(水)
🎏いくつになっても、誕生日は「こどもの日」だ。友人、同僚、お世話になっているかたがた、そして卒業生や学生たちからも、お祝いのメッセージが届いた。あらためて、みなさん、ありがとうございました。🙇🏻
そして、同じ「こどもの日」生まれのみなさん(知人に3名います)も、おめでとうございます。
新緑のキャンパスが、好きだ(秋の彩りも好きだけど)。日差しも強くなり、芝生は見るたびに色が変わっていく。今学期は、できるだけオンキャンパスで授業をおこなうつもりで、準備をしていた。学事を担当している同僚やスタッフの工夫と努力で、新入生は少なくとも週に1回はキャンパスに足をはこべるよう「登校日」を設定する調整もおこなわれた。
新学期をむかえて、学生たちがキャンパスに戻ってきた。昨秋は、冬へと向かうなかで、窓を開けて教室に集まっていた。日が暮れて寒い教室で、換気用の扇風機の音が大きく響いて、やるせない気持ちになったのを覚えている。もちろん、依然として窮屈なやり方ではあるものの、いまは、ずいぶんちがう気分だ。梅雨入りまでの数か月は、キャンパスを存分に味わうことができる。教室の窓を風が通る。青空の下、芝生で学生たちがのんびりしている。ひさしぶりの(あるいは初めての)キャンパスで、いきなり気分が緩んでいる姿にハラハラしつつ、やはり対面で集まることができるのは嬉しい。学生のみならず、これを待っていた教員は少なくないはずだ。
いっぽう、大阪の状況を知るにつれ、ふたたびキャンパスでの授業が難しくなることは容易に想像できた。そして、3度目の「緊急事態宣言」が発出されるのに先駆けて、授業をオンライン化することが決まった。一週間ほどの準備期間を設けることになり、4月末から、当面はオンライン授業へと移行する。また、がらんとしたキャンパスに逆戻りだ。
一昨年の秋、大学院の研究科委員長になってから、半年も経たないうちにCOVID-19に翻弄されるようになった。この役目を負っているあいだは、会議や打ち合わせで、これまでにも増して時間が細切れになる。メールやSlackは絶え間なく動いているし、予期せぬハプニングもあって、電話が鳴ったり呼び出されたりすることもある。おそらく、ゆっくり本を読むとか文章を書くとか、そういう時間はあまりないだろう(学部長にくらべれば少しは負担が軽いとは思うが、こっちはもう“アラカン”だし)。
どうせ不自由な毎日が続くなら。と、ちょっと諦め(開き直り)モードで、このさい何かをはじめよう。ちょっとした思いつきで、「300文字作文」がはじまった。メールやSlackが要求するスピードに少しでも逆らって、平板なディスプレイからしばし目をそらす。そして、じぶんのことばや文章をあらためて見直す。
原稿用紙をあつらえて、万年筆で文章を書いてみる。下書きはせずに、何か思いついたら、すぐにマス目を埋めてゆく。失敗したら、やり直す。しばらく続けているが、ぼくの日常にはストレスなくとけ込んだ。原稿用紙に向き合っているときは心穏やかになるし、他愛のない内容であったとしても、300文字でちいさな「ものがたり」を完結させようと試みるのはいいトレーニングになる。
興味を持ちそうな知人・友人には、このオリジナル原稿用紙を贈り(送り)、気が向いたときに「300文字作文」を寄せてほしいとお願いした。文章力を研くトレーニングは一人で地道にすすめるしかないが、仲間がいるとやる気がわいてくる。フィットネスもダイエットも、同じ課題に向き合っている仲間がいれば続けやすくなるのと同じだ。
2月の末に「クリーニングデイ・ブックス 」というイベントで知り合ったIさんにも原稿用紙を送った。こうしてIさんも、「300文字作文」の仲間になったわけだが、ちょっとした拍子に、Iさんのお嬢さん(5歳)も加わることになった。ここ数週間は、この5歳の“おともだち”の作文を読むのが愉しみだ。呼びかけられているようなときもあって、そんなときには「おへんじ」を書く。往復書簡(ちょっと大げさかな)のようにも見える(かもしれない)。
この1年ちょっと、休日の旅行も、フィールドワークもカレーキャラバンも、国内外への出張も、すべて「休眠中」である。じつは、「緊急事態宣言」が発出される前に、一度だけ「関東」の外に出たが、それを除いてはまったく動いていない。考えてみれば、年中、あちこちに出かけて人に会うのが「あたりまえ」だった。「神出鬼没」とさえいわれるほどに、動き回っていた。
やれやれ、こうして動きを封じられ、さまざまな調整作業に追われているうちに、任期が終わってしまうのだろうか。たしかに忙しく仕事はしているはずなのに、それほど仕事をしていないような、不思議な感じだ。今年は、そんな気分の「こどもの日」だった。
コミュニケーションには、身体が必要だ。オンライン授業の限界は、しゃべるときに身体の動きが止められてしまうという点だ。ふだんから、身ぶり手ぶりが大きいこともないし、教室を動き回るというわけでもない。だが、画面に向き合っていると、じぶんの身体をさほど実感しないまま時間が過ぎる。些細なことのようだが、ペン先が紙に触れ、手の動きとともにマス目に文字が配置されてゆくとき。インクが乾いて、少しだけ色が明るく変わるとき。そんなとき、身体を取り戻せたような気がして、安心する。明日は、授業。
写真は2021年4月7日(水)。新緑のキャンパス。