イベント

2020年7月3日(金)

そして7月。梅雨時だというのに、外の天気があまり気にならない。そう、外に行く予定がほとんどないからだ。規模はともかく、いわゆる「イベント」がない。淡々と、時間が流れてゆく。起伏のない、規則的な毎日だからかもしれない。
そんななか「あたらしい生活様式」「あたらしい日常」などということばが飛び交うようになり、少しばかり違和感をおぼえながら過ごしている。ちょうど、この春学期は、研究会(ゼミ)で「チャラ」という関係のあり方について考えている。もちろんぼくも、「あたらしい(ナントカ)」という言い方をする。これからが大切だということはいうまでもない。だが、「あたらしい」を使うと、これまでのことを置き去りするような感覚になるのだ。この数か月が「チャラ」になるはずもないのに。

この時期、多くのセミナーや学会は、オンラインでおこなわれることになった。ここ数年、同僚の諏訪さん、東工大の藤井さんとともに人工知能学会で「臨床の知」というオーガナイズドセッションにかかわってきた。3年目の今年も、発表することが決まっていた。大会のプログラムを確認すると、セッションは第一部が朝の9時から、第二部が15時半からとなっている。本来であれば前日に熊本に行き、大会に参加していたはずだが、自室にいるまま、画面越しに学会に参加することになった。じつはこの日は、授業も大学院生とのミーティングもある。偶然にも第一部と二部とのあいだに予定されていたので、休講もキャンセルもなく、すべての予定をこなすことができた。
不思議な体験ではあった。学会に出てから授業とミーティングを経て、ふたたび学会へ。これは、オンラインでなければ実現しなかった。同じ部屋で同じイスに腰かけたまま、頭を切り替えるのは、なかなか難しかった。「イベント」を実感するには、やはり移動が必要なのだろうか。

いつも学期中には2回ほど、「キャンプ」と呼んでいるフィールドワークのプロジェクトを実施している。学生たちと、宿泊をともなうかたちで全国のまちに出かけて、まちの調査をおこなうものだ。もともとは、熊本で開催される学会につなげるかたちで「キャンプ」を企画していた。つまり、学会を終えてからそのまま熊本に残り、学生たちと合流して、その週末はフィールドワークをおこなう計画だった。
けっきょく、今学期に予定していた「キャンプ」は中止せざるをえなくなった。15年くらい続けてきた「キャンプ」は、天候が理由で延期(中止)になったことが数回あったが、新型コロナウイルスのせいで、動きを止められてしまった。
47都道府県を踏査するという計画で、あと8府県というところまできていた(地域別インデックス → https://camp.yaboten.net/entry/area_index)。いままでどおりのペースで、あと2年もすれば「コンプリート」を達成できる見込みだったが、もう少し先になりそうだ(ところで、『キャンプ論』は、出版してから10年経って2刷が出た。もともと爆発的に売れるような本ではないが、細々と手にしてもらっているのだろう。ゆっくり続けることの大切さも書かれているので、ちょうどいいのかもしれない)。

今学期は、試しにオンラインで「キャンプ」を実施することにした。これは、フィールドワークやインタビューなど(の調査)を、家にいながら実施できるかという、興味ぶかい問いに直結している。誰かの暮らしに近づき、その「日常」に直接触れながら知ろうとすることの価値を、もういちど問いなおすことになる。
学生たちはペアになって、オンラインのインタビューを試みた。ふだんは合宿しながら短期集中で成果を出すやり方だが、今回は一定の期間を設けて、その間にインタビューの相手も、日時も調整し、オンラインでのやりとりをもとに文章を綴った(ちょっと窮屈な毎日 → https://fieldwork.online/20s/)。一人ひとりの〈ものがたり〉こそが、ぼくたちの「日常」を考えるのに役立つ。なるほど、同じ部屋で同じイスに腰かけたままでも、世界と接点をもつことができる。そう思った。

6月の末、およそ3か月ぶりに外食をした。妻の誕生日を祝うために、近所のレストランを予約した。完全予約制になっているし、さまざまな対策を講じているようだったので、出かけることに。「おうち」の食事に身体がなじんでいたからだろうか。つぎつぎと刺激物をとり込んでいるような感じがした。結局、他に客は姿を見せず、貸し切り状態。ひさしぶりの「イベント」だった。マスク越しに、夜風を吸い込んだ。

f:id:who-me:20200630162502j:plain写真は6月30日。ひさしぶりのキャンパス。

3か月

[11] 2020年6月19日(金)

(5月16日〜6月19日)引き続き、備忘をかねて記録しておこう。「ひと月」(3月4日〜4月15日)、「ふた月」(4月16日〜5月15日)を経て、3か月である*1。オンラインの会議や授業にも慣れてきて、学期も折り返し。
季節の変わり目ということもあって、学生も教員も、ちょっと疲れ気味のようだ。こうやって書き出してみると、会議や授業、面談などで“オンライン“状態で過ごす時間がずいぶんある。思っていた以上に、人と接する仕事(いまの役目か)なのだということに、あらためて気づく。

5月16日(土)
  • 学生との面談(45分×3)
5月18日(月)
  • 授業・学期前半科目:リフレクティブデザイン(180分)
  • 学生との面談(45分)
  • 打ち合わせ(120分)
5月19日(火)
  • オンライン(おかしら日記)を公開
  • 学生との面談(45分)
  • 打ち合わせ(120分)
  • 研究会(180分)
5月20日(水)

またしても、会議の日。オンライン会議(×4)。この日のことは、ブログ(時間を出し合う)に書いた。けっきょく、ちょっと近所に出かけただけで、ずっと家で過ごした。「余白」がそぎ落とされ、思っていた以上に規則的(で単調)な毎日がくり返されている。

  • その1(60分)
  • その2(60分)
  • その3(60分)
  • その4(60分)
  • 加藤研のウェブマガジン(第41号)発行。今期のテーマは「うち」 exploring the power of place

f:id:who-me:20200621121352p:plain
ちょっとだけ買い物に出かけた以外は、ずっと家のなか。4つのオンライン会議で、時間の流れが細切れになる。

5月21日(木)
  • 授業:フィールドワーク法(90分)
  • 大学院AP:モバイルメソッド(90分)
  • 学生との面談(45分×2)
5月22日(金)
  • 会議(60分)
  • 会議(60分)
  • 大学院生とのミーティング(90分)
  • 東京都の新規患者にかんする報告件数:3人
5月25日(月)
  • 緊急事態宣言解除
  • 授業・学期前半科目:リフレクティブデザイン(180分)

f:id:who-me:20200621145450p:plain

5月26日(火)
  • 研究会(180分)
  • 「ステップ1」へ:図書館や博物館など文化施設を再開、飲食店の営業時間は22時まで。
5月27日(水)

会議+大学院の授業。大学に行かなくても、このスケジュールで一日を過ごすと、ぐったりする。とくに、議事進行は疲れる。

  • その1(120分)
  • その2(120分, 議事進行)
  • その3(120分)
  • 大学院レビュー(120分くらい)
5月28日(木)
  • 授業:フィールドワーク法(90分)
  • 大学院生とのミーティング(120分)
5月29日(金)
  • 会議(60分)
5月30日(土)
  • 学生との面談(45分)
  • 学会誌刊行(120分)

お声がけいただいて、『デザイン学研究』に寄稿した。その刊行のお祝い+反省会(+オンライン飲み会)。ぼくとしては、これが2度目の「オンライン飲み会」。なかなか楽しかった!気づけば、もう6月はすぐそこ。
==
加藤文俊(2020)デザインというかかわり『デザイン学研究』(特集号 社会実践のデザイン学) Vol. 27-2, pp. 42-47.
==

f:id:who-me:20210525235030j:plain🍷きょうは、オンライン飲み会してる。 #stayonline

6月1日(月)

6月になった。緊急事態宣言が解除され、そろそろ“Stay at home”から、想いは「外」へ。本棚を隠していたスクリーンを印刷しなおして、衣替え。

  • 授業・学期前半科目:リフレクティブデザイン(180分)
  • 衣替え(マンスリー)を公開
  • 「ステップ2」へ:映画館やスポーツジム、学習塾の再開などに対象を拡大。

f:id:who-me:20210525235036j:plain衣替え。#junehasarrived #koromogae

6月2日(火)

打ち合わせのため、三田キャンパスへ。検温してから会議室に入り、マスクをして距離を空けて座る。ひさしぶりに、家族以外の人と“リアルな”対面。事務的な集まりなのに、とても新鮮な感じ。

  • 打ち合わせ(60分くらい)
  • 研究会(180分)
  • 学生との面談(45分)
  • 東京アラート発動。
6月3日(水)

大学院セミナー(ブラックウェンズデー)+会議。8日以降の活動制限について臨時の会議を開いて、BCPの見直し。

  • 学内施設の段階的な使用開始について今後の段階的施設利用についての情報が追記される。
  • 打ち合わせ(60分)
  • 大学院セミナー+ブラックウェンズデー(80分くらい)
  • その1(60分)
  • その2(60分, 議事進行)
6月4日(木)
  • 授業:フィールドワーク法(90分)
  • 大学院AP:モバイルメソッド(90分)
  • 学生との面談(45分×2)
6月5日(金)
6月8日(月)
  • 授業・学期前半科目:リフレクティブデザイン(180分)
  • 学生との面談(45分×2)
6月9日(火)
  • 研究会(180分)
6月10日(水)

水曜日は、相変わらずこんな感じ。

  • その1(60分)
  • その2(180分)
  • その3(60分)
  • その4(120分)
6月11日(木)

九州北部・関東甲信・北陸・東北南部の)梅雨入りが発表される(平年より3日遅い)。
人工知能学会(JASAI)の研究発表大会。本来であれば熊本に行き、発表をおこなってからそのまま週末にかけて熊本に逗留する予定だった。学会がオンライン開催になったおかげで、授業を休講にすることなく行き来した。移動は瞬時で済むものの、モードの切り替えがなかなか難しい。
オーガナイズドセッション「臨床の知:厚い記述がもたらす知」は3年目。今回は、学生たちと以下の報告をおこなった。
==
◎森部 綾子・加藤 文俊 [3C1-OS-23a-04] 「被災写真洗浄ラボ」のデザインと実践
◎笹川 陽子・染谷 めい・坂本 彩夏・加藤 文俊 [3C5-OS-23b-03] 「余白」に気付く感性を醸成する
==

  • 学会のセッション [3C1-OS-23a-04](100分)
  • 授業:フィールドワーク法(90分)
  • 大学院生とのミーティング(90分)
  • 学会のセッション [3C5-OS-23b-03](100分)
  • セッションの反省会(オンライン飲み会)(120分くらい)
6月12日(金)
  • 会議(90分くらい)
  • 「卒プロ2」進捗報告(映像作品の視聴+講評)(90分くらい)
  • 時間を出し合う(コロナと大学)を公開。
  • 東京アラート解除。「ステップ3」に移行。
6月15日(月)

学期の前半科目が(無事に)終わったので、月曜日は少し時間に余裕ができた(はず)。

6月16日(火)

午前中は、急用のため会議を欠席。

  • 研究会(180分)
6月17日(水)

会議日。急遽、面談の予定が入ってしまい、「その2」と「その3」は欠席。

  • その1(120分)
  • その2(60分)
  • その3(60分)
  • その4(90分)
  • その5(60分)
  • 大学院レビュー(120分くらい)
6月18日(木)

ひさしぶりに大学へ。5月の中旬に、本や書類を取りにキャンパスに行ってから、早くも1か月。きょうは、研究室から授業を配信することにした。この7週間、家からの配信は何の問題もなかったのに、なぜかきょうは途中で回線の状態が悪くなって音声とビデオが途切れてしまった。授業のあとで、郵便物の整理。(放置されていた)「請求書」が数枚。

  • 授業:フィールドワーク法(90分)
  • 大学院AP:モバイルメソッド(90分)

f:id:who-me:20200618174734j:plain【2020年6月18日(木)|カモはどこへ?】

6月19日(金)
  • 会議(90分)
  • (いまここ:事実上、全面解除。

(つづく)

イラスト:https://chojugiga.com/

*1:必要に応じて、適宜加筆・修正します

時間を出し合う

[10] 2020年6月12日(金)

10.1 通勤時間がなくなった

オンラインの講義がはじまって、1か月半。早いもので、春学期も折り返しである。オンラインの授業については、だいぶ慣れてきた。いまのところ、(少なくともぼくの側での)大きなトラブルはない。オンライン講義の場合、時間割どおりの時刻までに「教室」を開けておかないと学生たちが入れないので、遅刻することはできない。とても規律正しい毎日である。毎時間、出席の確認はしていないが、「参加者」として表示される人数を見ているかぎり、出席率はかなり高い。もっとも、学生たちはいちど接続しておけば、あとは、いろいろな方法で「退出」することができるが。
授業に先だって、学生たちにはその日のコンディションを聞くようにしている。同じ教室にいれば、たとえば顔色が悪ければ気づくこともあるだろうし、「お腹がが痛い」などと、その場で伝えてもらうこともできる。画面越しだと、万が一のときに直接はたらきかけることができないので、そのことはつねに気がかりだ。5月の中頃から、「少し疲れている」と回答する割合が増えてきたように見える。ぼく自身も、イスに座ってディスプレイに向き合っている時間が増えて、首や肩、腰に負担がかかっていることはまちがいない。なるべくストレッチをしたり、散歩に出かけたりするようにしているが、なかなかキツい。平日が、いままで以上に規則的になっている分、週末に疲れが出る。 

ぼくの一日の過ごし方は、明らかに変わった。家から一歩も出ない日がある。これまでにはなかったことだが、それが少しずつあたりまえになりつつある。たとえば、ある水曜日をどのように過ごしたのか、図示してふり返ってみよう。
5月20日(水)のぼくは、このタイムラインのように過ごした。時間の流れは左から右へ。見てのとおり、この日は、ほぼ丸一日(23時間)を家のなかで過ごした。毎週水曜日は「会議日」なので授業はなく、オンラインの会議(それぞれ1時間という設定)が4つ。午前中に二つの会議を終えて、ランチの前にちょっとだけ近所に出かけたくらいで、あとはずっと家にいた。もちろん、家のなかでもトイレやシャワー、寝室、ダイニング、自室、と細かく見ていけば移動しているが、それほど大きな動きではないので、「家」として一つに束ねてある。この日は、ランチの写真を1枚Instagramにアップしただけ。ふだんのように、まちに出かけていれば、あれこれと写真を撮ってSNSに投稿していたはずだ。

f:id:who-me:20200612232540p:plain

2020年5月20日(水)のタイムライン|上:「自粛生活」 下:職場に出かけていた場合

試しに、「もし、いつものように大学に行っていたら」どうなるのか。同じ要領で タイムラインを描いてみた。会議の予定はあらかじめ決められているので、開始時間等は変わらない。変わるのは、ぼくの動きだ。この4つの会議が職場でおこなわれていたとすると、ぼくはいつもより早起きし(睡眠時間は短くなっていたはず)、「朝ドラ」を見るのをあきらめ、最初の会議がはじまる9:00までにキャンパスに到着するように余裕を持って家を出かけていたはずだ。片道50kmほどのドライブ。そして、朝から夕方までキャンパスで過ごす。仕事モードだと、ランチタイムは短めになって、午後の会議を終えるとふたたび運転して家に帰るという流れだ。

f:id:who-me:20200612233746p:plain

このように、じぶんの一日の動きを簡単に書き出してみるだけで、「自粛生活」によるリズムの変化をふり返ることができる。見てのとおり、ここ1か月半は、移動の時間がほぼ不要になった。これまでは、事故渋滞なども想定しながら早めに家を出るようにしていた。電車を使う場合なら、移動に要する時間を確かめて駅に向かう。これまで20年近く通勤してきたことをふまえると、移動のための時間とエネルギーは、無視できないものだった。
2つのタイムラインを描いてみてわかったのは、(在宅ではなく)大学に出かける場合でも、たとえば水曜日という「会議日」は、さほど起伏のない単調な一日だということだ。ひとたびキャンパスに行ってしまえば、朝から夜まで、ずっと「会議日」モードで過ごす。会議と会議の「間」は、60〜90分くらい空いているが、会議が少し延びたり、ちょっとひと息ついたりしているうちに、すぐ「つぎ」が来る。

いまは、身支度さえ整えておけば、会議や授業がはじまる直前までのんびりした気分で過ごすことができる。それは、職住の一体化という、これまでにはなかった体験だ。だが、クリックひとつで「教室」や「会議室」に移動するやり方をくり返していると、少しずつメリハリがなくなってくる。瞬時に移動できると思って、いろいろと予定を入れてしまい(入れられてしまい)、移動に使っていたはずの時間にまで仕事が侵食しはじめている。いわゆる“テレワーク”によって時間が増えたと思いながら、余計に忙しくなっているのではないだろうか。運転するにせよ電車に揺られるにせよ、移動の時間は、心身を整えるために必要だった。「つぎ」に向かうまでの、大切な〈余白〉だったのだ。「オンライン化」によってもたらされた利便が、これまでの生活から何かを奪っていても、あたらしい体験なので、なかなか気づきにくいのかもしれない。

もうひとつ、忘れてはならないこと。それは、会議や授業は、じぶん一人ではなく、何人もの「参加者」たちとの合意と調整によって成り立っているということだ。会議は、リアルタイムでおこなわれる。つまり、スケジュールどおりに、みんなが時間を出し合うからこそ、会議が実現するのだ*1
授業については、オンディマンド(録画配信)で提供することもできるが、ぼくは(いまのところ)すべてリアルタイム(同時配信)でやることにしている。移動の時間や手間は、大きく変わったが、決められた時間に、学生たちと時間を合わせてオンラインの「教室」に集う。なるほど、「時間割」を組むことで、待ち合わせの約束をしているのだ。これまでとは少し勝手がちがうものの、いくつもの約束があるから、ぼくの生活リズムが保たれている。

オンラインによる授業の可能性は、まだまだこれから発見されてゆくはずだ。ぼくは、リアルタイムをえらんでいるが、オンディマンドは、いま述べてきたような意味での待ち合わせの約束をしないということだ。そのやり方をえらぶとき、ぼくたちの関係はどのように変わるのか。便利になること、それによって変容をせまられることは何か。引き続き、考えていきたい。

(つづく)

イラスト:https://chojugiga.com/

*1:このことについては、数年前にブログ記事を書いた。→ ランチの約束 - the first of a million leaps - Medium