生活のある大学

2021年8月10日(火)

出典: 生活のある大学|政策・メディア研究科委員長 加藤 文俊 | 慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス(SFC)

伊藤塾長と常任理事のみなさんが、キャンパスにやって来る。梅雨明けして数日後、晴れて暑い日になった。懇談会が終わってからは、両学部長や関係者とともに、みなさんを案内してキャンパスを巡る段取りだ。時間はかぎられているし、なにしろ炎天下なので、注意しながら“ツアー”をすすめなければならない。廣田事務長が考えてくれたコースを、順番にたどってゆく。
まずは「未来創造塾」の東側、「βヴィレッジ」へ。この事業にかんする一連の経緯については別の機会にきちんと整理するつもりだが、このエリアには4つの「滞在棟」にくわえて、「教育実験棟(βスタジオ)」や「教育研究発表棟(βドーム)」など、個性豊かな建物が並ぶ。「滞在棟1」は2016年4月に竣工し、それから5年近くかけて、昨秋、計画されていた建物がすべてそろった。ぼくたちは、この建物群を「βヴィレッジ」という名称で束ねることにした。いまはCOVID-19の影響下で利用することができないので、残念ながら、まるで生活感がない。無遠慮に草が伸びている。
ここでは、学生と教員が宿泊を伴うかたちで夜どおし闊達に語り合う。寝食をともにすることで、教室とはまったくちがう時間が流れる。それぞれの「滞在棟」に明かりが灯り、このヴィレッジの夜が息づく。そんな情景を想い描いている。周縁を歩いて行くと、この春竣工した「湘南藤沢国際学生寮」も見える。
「βヴィレッジ」に隣接する西側は「Ηヴィレッジ」と呼ばれるエリアだ。ここには、学生寮が建つ計画がある。すでに造成工事がはじまっていて、地鎮祭を終えれば、いよいよ着工となる。「ステイホーム」のせいでキャンパスから足が遠のいている間にも、少しずつ工事がすすんでいる。ひととおり「βヴィレッジ」の建物を紹介して、ひと休み。お互いに距離を取りながらおべんとうを食べて、後半はキャンパスを歩いた。大学院棟や研究室棟、セミナーゲストハウスなど、あらためてキャンパスの広さを実感した。やはり、ぼくたちが誇るべきは、この自然豊かなキャンパスだ。

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もうそれなりに長い間、このキャンパスに通っている。少しずつ変わってきたことも知っているし、いまは、仕事としてその変化にかかわっている。だが、じつは大学の教員になってほどなく、キャンパスの窮屈さにも気づくようになった。ぼくたちの「キャンパスライフ」は、実際には学事日程や時間割によって綿密に組み立てられているからだ。授業は、90分単位でぼくたちの時間をバラバラにする。水曜日は「会議日」なので、それをふまえながら一週間の予定が決まる。もちろん、コミュニケーションの基本はお互いに時間を出し合うことなのだから、一連の調整があればこそ、ぼくたちは集うことができる。重要なのは、こうした時間の使い方は、さまざまな事情で人工的につくられているという点だ。つまり、自由で伸びやかなキャンパスを、じつに不自然なかたちで使っていることになる。
活発なやりとりで授業が盛り上がっても、あらかじめ決められた時刻になると、つぎがあるから、サークルの練習があるからなどという理由で、学生たちはいそいそと退室する。教員も、同じように、つぎの授業や会議のためにコミュニケーションを分断せざるをえない。会議の日程は年度の初めに設定されて、1年先あるいは数年先まで「予定」が入る。いくつもの提出期限が、カレンダーに並ぶ。もっと自由になりたい。そう思って、キャンパスを抜け出す方法をずっと考えてきた。週末や休みの期間を利用して、学生たちとともにキャンパスの「外」へと向かう。2泊3日程度であっても、時間割から解放されて寝食をともにしながら過ごすと、お互いの人間性に触れることができる。ここ10数年は、年に4〜5回は「外」に行くことで、キャンパスではえられない体験を重ねてきた。ぼくは、魅力的なキャンパスがすぐ目の前にありながら、もっぱら「外」へ向かうことに一生懸命だった。
おそらくこの先も、「外」での活動に関心を持ち続けると思うが、COVID-19によって被っている窮屈さのなかで、あらためてキャンパスについて考えるようになった。学事日程や時間割そのものを変えるのは、かなり面倒であることはまちがいない。でも、その本質的な変化にかかわろうとしていなかったのではないか。やはり、キャンパスを活き活きとした場所にするには、人と人とのリアルな接点が必要だ。これからは、オンラインと対面を組み合わせることを前提に、学事日程や時間割のありようを考えていくことになるはずだ。もう少し余裕があって、もっと自然にキャンパスと向き合えるような仕組みをつくれないだろうか。あたらしい発想で、時間と空間の整備にかかわりたい。

 6月の末からはじまった職域接種は、順調にすすんでいるようだ。これは、学生たちがふたたびキャンパスに戻れるようにするためだ。その日を待ち望む声に、応えたい。事務職員のみなさんは、リモートワークを取り入れて、やや変則的になりつつも通勤を続けている。周辺の工事は、着々とすすむ。伸び放題の草も、いずれ綺麗に整えられるはずだ。人影が少なくても、キャンパスは丁寧に維持され、ぼくたちが戻るのを待っている。
ところで、教員はキャンパスに戻ってくることができるのだろうか。ぼくたちは、授業にかぎらず会議や事務手続きについても、オンラインの良さを実感した。当然、いろいろなノウハウも蓄積された。便利さを受け容れながら、キャンパスへの想いが弱まっていくことはないだろうか。この1年半、キャンパスから一番遠ざかっているのは、じつは教員たちかもしれない。夏の日差しを浴びながら、ふと、そんなことを思った。前の日に阿蘇からやって来たばかりのアイガモたちは、ぎゅっと密になって鴨池を泳いでいる。汗だくになって、“アテンド”の仕事は無事に終了した。