ちょっと回復

2022年9月4日(日)

「回復」などということばを使うと、いささか大げさに聞こえてしまうとは思うが、8月の後半からは、少しずつ気分が上向きになってきた。この3か月弱は、大学にかぎらず身の回りでもいろいろなことがあって、身体も心もくたびれた。おまけに猛暑のせいでちょっとバテ気味だった。本当に面白いくらいに(ちっとも面白くないけど)、次から次へと「事件」が発生する。校務については、自分が対応する役目であるとは自覚しつつも、悩ましい案件が少なくない。
年初に厄払いに行くつもりでいたのに、それさえも先延ばしにドタバタとしていたことを悔やむ。無事に春学期の授業をすべて終えて採点票を提出すると、ちょっと落ち着いた。

やはり日常的なコミュニケーションが圧倒的に欠落しているのだろう。あらためて、そう思う。ぼくが研究科委員長になって、いくつかの会議で議事進行の役目を担うようになってから、まもなく3年になろうとしているが、その大部分はオンラインである。(リアルな)会議室だったらずいぶん勝手がちがうはずなのに。同僚たちの表情をうかがうことができるし、ちょっとした身体の動きから、多くを感じ取ることができる。事務担当からのささやきがあったり、ちいさなメモを差し入れてもらったり。ようすを見ながら、議事進行を即興的に調整することができる。隣に座った同僚とことばを交わすことで議事内容の理解が深まることもある。もちろん、会議の前後に立ち話をする時間もある。
オンラインになったおかげで、会議への出席率が(おそらく)アップしているのは歓迎すべきことだ。だが、ここでいう「出席」は、接続しているということであって、ビデオをオフにしていれば、会議の音声を聴きながら(比較的自由に)過ごすこともできるだろう。会議中はチャット欄に意見が書き込まれ、同時に同僚からのダイレクトメッセージも届く。事務担当とのやりとりもある。Slackがインカムのように使われていて、会議の流れを見ながら議事進行を調整する。慌ただしくいくつかの画面に目をやりながら、話をすすめる。そんな会議のやり方にもすっかり慣れてしまった。
議論も意思決定も、重要な事柄をオンラインで扱えることはたしかに便利な面もあるが、〈余白〉をそぎ落とされていることが、いろいろなところでストレスを生んでいるように思えてならない。

8月の中旬には「未来構想キャンプ」が実施された。3年ぶりに対面での開催となり、さらに今年についてはキャンパス以外に鳥取、高知、熊本でもワークショップが企画された。ぼくは、この「未来構想キャンプ」には初回からかかわってきたが(一度だけ、サバティカルで不参加だった)、今回は高知県土佐町へ。せっかくなので、船旅をすることにした(このあたりの話は、別途ブログにまとめた)。
10年ほど前に三宅島でのプロジェクトにかかわっていたときは、たびたび船に乗って移動した。洋上では、いつもとちがう時間が流れる。船はゆっくりとすすみ、沖に出れば電波も届かなくなる。急いで目的地にたどり着くのではなく、道行きを味わう。身体と心を整えてから現場に臨む感じだ。フェリーは片道17時間。飛行機なら1時間ほどの行き来を、のんびりと過ごしてみた。これは、とてもよかった。うまくまとまっていないが、ふと「回復」ということばを使いたくなる。

キャンパスの北側では学生寮の建設がすすんでいる。昨年の夏に地鎮祭があり、その後の工事は順調だ。予定どおりなら、来年の春から入居できるので、少しずつ入居者向けの案内を整理する作業がはじまっている。せっかくキャンパスのなかに学生寮が建つのだから、ぜひ盛り上げていきたい。
ぼくは、ここ数年、あたらしい学生寮の完成に向けて、さまざまな調整をする役目も担ってきた。何かと面倒な案件が多いなか、学生寮のこと(だけ?)は楽しく向き合える。やはり、事後の処理ではなく、未来のことを扱っているからだろうか。
竣工を前に、広報用のウェブ制作もはじまっている。8月の終わり、ビデオ撮影があるというので立ち会った。最後に現場を見に行ったのは4月の末だったので、およそ4か月ぶり。その間にずいぶん工事がすすんで形になってきた。周回道路の北側で、ちょうど工事現場を隠すように立っていた木々が切られて、いきなり視界がひらけた。ますます完成が楽しみだ。

朝夕は少し涼しくなって、秋を感じる。9月ということは、今年も3分の2が過ぎ去ったということか。お声がけいただいた「総合政策学」(ブックプロジェクト)の論考も、無事に脱稿。


写真は2022年8月30日:広報用のビデオ撮影に立ち会った