残量25%

2021年4月10日(土)

一昨年の秋にはじまって、2年間という任期である。COVID-19に翻弄されているうちに、「残量25%」になっていた。じぶんのスマホのことを思い浮かべると、「25%」というのは、そろそろ充電が必要だと感じる頃合いだ。(ちょうど去年の今ごろ「残量75%」を書いた。)

この一か月は、年度末の片づけと新学期の準備で慌ただしく過ごした。3月の中ごろ、国際学生寮(正式な名称は「慶應義塾大学 湘南藤沢国際学生寮」)の竣工式に出席した。工事がはじまっていたのはもちろん知っていたが、キャンパスに足をはこぶ機会が減って、頻繁に工事のようすを見てきたわけではないので、なんだかいきなり出来上がったように思えた。つまり、それだけの日数を、さほど「外」に出ることなく過ごしていたということだ。昨年12月には仮囲いが取り払われて姿を現し、さらに数か月経って、いよいよ入居がはじまるという。
竣工式のあとで、内覧会があった。個室も共用スペースも清潔感があって、なかなかいい雰囲気だ。もちろん、完成したばかりなので、あちこちピカピカなのだが、随所に共同生活を送るための工夫がある。最後に、屋上にも出ることができた(内覧会だから特別だったようで、ふだんは、住人たちもアクセスできないらしい)。キャンパスの北側も、駅に向かう道路も、この高さから眺めるのは初めてだった。体育館のほうに、ほんの少しだけ富士山のてっぺんが見えている。
寮を出て、ちょっと右上に目線を移すと、「未来想像塾」のSBCが見える。いくつかの建物群が「βヴィレッジ(イースト街区)」という名前で呼ばれることになったが、ここも段階的に工事がすすんでいて、昨秋にすべての建物が揃った。その奥には「ηヴィレッジ(ウエスト街区)」という区画があり、学生寮の建設が計画されている。大きな問題さえなければ、今年の夏には着工する。先行きが不透明で、寮生活自体がこの先どうなってゆくのかもわからないのだが、キャンパスの周辺が目に見えて変化している。

学部の卒業式は対面で実施されることになった。会場に入れるのは、卒業生と一部の関係者のみ。それでも、昨年にくらべれば大きなちがいだ。「おめでとう」「ありがとう」「さようなら」をお互いにやりとりして別れるのがよい。そう思う。だからこそ、卒業式や謝恩会、「追いコン」と呼ばれる集まりには意味があると感じている。いまの状況では、もちろん望みどおりのやり方はできないが、この時季に送られる人も送る人も、待ち望んでいたイベントであることはまちがいない。折しも、日中はずいぶん暖かくなって、桜のつぼみがほころびはじめている。気分は上向きだ。
こうしたイベントを大切にすべきだといいながら、ぼくは、ちょっと醒めているところがある。それは、教員という立場でいると、一方的に送り出すばかりで、置き去りにされるような気持ちになるからだ。卒業式が終わると、すぐその翌週には入学式だ。余韻を味わうゆとりもなく、つぎがはじまる。素直に喜べばいいだけなのに、その急かされる勢いに抵抗感があるのかもしれない。

大学院の学位授与式も、対面で実施された。昨年は、がらんとしたフロアを壇上から眺めていたが、今年は、マスク姿の修了生・学位授与者たちが、目の前に座っている。今年も「無観客」でおこなわれたとしたら、リアルな学位授与式を体験しないまま任期を終えることになっていた。
全体の式が終わってから、各研究科ごとに分かれて、学位授与式がおこなわれた。教室にいた一人ひとりに学位記を手渡した。これも、(昨年はなかったので)初めての仕事だった。ささやかながら、「SFC30」(厳密にいえば「30」なのは学部で、大学院はあと数年で追いつく)のチロルチョコをおまけにプレゼント。大変な時期に論文をまとめたこともあって、みんな晴れやかな顔だ。あまり、いじけたことをいわずに、素直にこのひとときを分かち合うのがいいのだろう。

これを書いているいま、すでに入学式を終えて、新学期をむかえている。キャンパスには学生の姿が戻り、開放感につつまれている。それは喜ばしいのだが、唐突に「マンボウ」ということばが飛び交っている。この先どうなるのか(どうなったのか)については、後日。

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写真は2021年3月26日。学位授与式。