あたらしい景色

2021年4月6日(火)

出典:あたらしい景色|政策・メディア研究科委員長 加藤 文俊 | 慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス(SFC)

いつもなら見えるはずの富士山は、空に隠れていた。トンネルを抜けると、ほどなく「70代を高齢者と言わない街」というスローガンが現れて、苦笑する。そのあとは「神奈川県のほぼ真ん中」と書かれた横断幕である。しばらく走ると、標識が見えてくるので左のレーンに移動して、ゆるやかなカーブを描きながら上ってゆく。ピカピカのゲートを通ると42号線に出た。見慣れない景色のなかをすすむと、知らない間に43号線に変わっていて、やがてキャンパスへと続く道につながる。右折すれば、あとはまっすぐだ。あたらしいルートが開通して、キャンパスが少しだけ近くなったのかもしれない。

通勤で東京と神奈川を行き来してはいるものの、この一年間、いちども「関東圏」の外に出ていない。これまで、年に3、4回は学生たちとともに宿泊をともなう形でフィールドワークに出かけていた。47都道府県の踏査を目指して全国のまちを巡るプロジェクトで、「コンプリート」まで残り8府県というところで、動きを止められている。他に、出張や学会への参加などで国内外に出かけることも少なくない。どちらかというと、ふだんは移動の多い生活だったと思うが、いまは行動範囲が格段に狭くなっている。家の界隈や決められた地点との往復だけで成り立っている暮らしは、幼いころに逆戻りしているような、あるいは来るべき未来の予行演習をしているような、不思議な気持ちになる。
電車やバスに乗るのを避けて、できるかぎりクルマで移動している。通勤の回数は減ったが、ディスプレイの前で過ごす時間が増えた分、運転するひとときを楽しめるようになった。車窓を流れてゆく景色を見るだけで、「余白」を取り戻している気分になる。ここ数か月は、クルマが多くなってきたようだ。ブレーキランプの連なりを見るのは避けたいものだが、ひさしぶりの渋滞は懐かしくさえ感じられて、たまにはノロノロと走るのも悪くないと思う。

大学に着いて、ゲートに向かう。検温してからIDカードをかざす。この一連の手続きは、昨秋から続けてきたのですっかり慣れた。最初は無粋だと思っていたゲートの鉄柵にもカラーコーンにも、あまり反応しなくなった。4月1日のメールやSNSは、就職、引っ越し、異動などのあいさつであふれている。この日が来るのを待ち望んでいたのだろう。なかなか分かち合えずにいた朗報が、タイムラインを飛び交う。懐かしい名前もある。ほとんど真っさらの研究室や窓からの眺めを写真で伝える同業者たちもいる。大変な時期に就職活動をしていた卒業生たちは、入社式に出かけているのだろうか。静かに地味に流れていたはずの時間が、いきなり活気を帯びはじめた。

いうまでもなく、一人ひとりが移動を控えていても、ぼくたちを取りまく世界は絶え間なく変化している。モノや情報は、確実に動いているのだ。そして、誰かが動いているからこそ、変化がもたらされる。先ごろ「おかしら日記」で紹介されていたように、あたらしい国際学生寮が竣工した。ぼくたちが「ステイホーム」を唱え、キャンパスに足を運ぶことなく過ごしている間に、建物ができあがり、いまでは入居がはじまっている。いつもどおり保守・改修がおこなわれているので、キャンパスのあちこちが、丁寧に整えられている。あたらしいインターチェンジも、少しずつ工事がすすめられて、ようやく利用できるようになったのだ。

ぼくは、移動が制限されていることに、ずっと不満やストレスを感じていた。早く、この窮屈な毎日から解放されたいと願っていた。だが、よくよく考えると、ぼくは移動せずに済んでいたということだ。この大変な時期に、使命をもって移動している人びとがたくさんいて、そのおかげで、ぼくはじっとしていることができた。開通したばかりのインターチェンジで、そんなあたりまえのことを、あらためて思い知った。
帰りは、あたらしいルートを逆向きに辿った。「神奈川のほぼ真ん中」の市役所の前には桜がたくさん並んでいる。満開のピークは過ぎたようだ。しばらくは、葉桜を眺めながら走ろう。