2020年12月4日(金)
今年も、キャンパスの紅葉は美しかった。いまは、キャンパスに足をはこぶのが特別なことのように感じられるので(そもそも、そのこと自体が残念だけど)、なおさら秋の彩りを愛おしく眺めていたのかもしれない。葉が落ちて、いかにも冬という空気が漂いはじめた。そして師走である。10月に新学期がはじまってから、淡々と時間が流れている。研究会は基本はオンキャンパス、学期後半になってもう一つオンキャンパス開講の授業がはじまった。打ち合わせや会議なども、一部は対面で予定されるようになっている。それでも、なんだか平坦な毎日である。感染者数が増えているので、この先の施設利用など(そしてその先にある新年度のこと)が気がかりである。
11月の中旬には「人びとの世田谷線(Every Person in Setagaya Line)」というフィールドワークを実施した(https://camp.yaboten.net/entry/episl)。これは、10月におこなった「人びとの池上線」とほぼ同じやり方で、対象となる路線を変えたものだ。いつまでも身動きできずに過ごしているのにも飽きてきたし(悔しいし)、じゅうぶんに注意しながら、なるべく「外」へと向かうことにしている。そのために、あれこれと工夫が必要になる。2度の試みをとおして、オンラインとオンサイトを組み合わせたフィールドワーク実習のやり方がわかってきたように思う。とくにフィールドワークの当日は穏やかな陽気だったので、のんびりと「外」で過ごした。わずかな時間でも、実際に会って(今回は公園だった)お互いの成果を見せ合うような場面は大切だ。
この時期は、いつもなら「ORF(オープンリサーチフォーラム)」で慌ただしく過ごしている。実行委員(実行委員長)としてかかわることもふくめ、この10数年は、毎回展示やセッションに参加してきた。今年も開催予定ではあるが、時期も開催方法も変わるので、いつもの忙しさはない(そもそも、このタイミングで準備をするのはムリだった)。その代わりに、というわけでもないが11月23日に「未来構想キャンプ 2020」が開かれた。10年目、そして初のオンライン開催だった(全体のようすは、今週の「おかしら日記」に書いた https://www.sfc.keio.ac.jp/deans_diary/015087.html)。
ぼくは、若新さんとともに“「サボり」ワークショップ”を担当した。いろいろと準備をすすめながら、このワークショップのために茶慕里高等学校(https://fklab.net/sabori/)という架空の文脈を用意することにした。高校生たちは、そのなかで授業を受けながら「サボる」ことについて思案する。ぼくは、校長の役だ。「校長室」という名前のブレイクアウトルームで待っていると(当然のことながら背景画像も「校長室」)、何人かの高校生たちが、授業をサボって「校長室」に入ってきた。そこで、あれこれと話をした。サボって「中庭」や「屋上」に向かう生徒たちもいた。ぼくの頭のなかでは、くり返し『トランジスタ・ラジオ』が鳴っていた。
「サボり」がテーマなのだから、授業を抜け出すのがよいのか。それとも、真面目に授業を受け続けることこそが、ワークショップのねらいから逸脱する「サボり」になるのか。他の生徒たちのふるまいも、つねに見えるようになっている。ゆるやかに進行しつつも、ちょっとしたジレンマに直面しながら過ごす。
最後は、その体験をふり返りながら、「サボり」について語った。たとえば「授業を準備してくれている先生のことを考えるとサボるわけにはいかない」「実演の部分は面白かったけど、説明のところは(つまらないので)サボった」などというコメントがあった。架空の文脈での出来事だが、いずれも純粋で大切な指摘だ。人と向き合うときに謙虚であること。そして、留まるにせよ抜け出すにせよ、面白さが必要だということ。授業が面白ければ、生徒は留まる。「屋上」が魅力的なら、生徒は授業を抜け出す。茶慕里高等学校の「校長あいさつ」は、次のように結んだ。架空の設定だから、勝手なこと(でも言いたいこと)を書けるのだ。
慶應義塾大学SFCでは、キャンパス内にある“鴨池”を眺めながら、友だちと語らうことを「カモる」と呼んでいるそうです。茶慕里高等学校では、どこにいても、どんなときでも、空想の翼を羽ばたかせ、自由に広い世界を飛び回ることを「サボる」と呼んでいます。
そうです。私たちには、のびやかな想像力がある。だから、私たちの学びは止まらない、いや、止められないのです。
https://fklab.net/sabori/greetings.html
(12月3日。ついに「NORTH」が姿を現した。)