未来

2020年12月1日(火)

出典:未来|政策・メディア研究科委員長 加藤 文俊 | 慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス(SFC)

「未来構想キャンプ」という実験的な試みがはじまったのは、2011年の夏だった。あの年のことは、いまでも鮮明に思い出すことができる。卒業式は中止(延期)になり、新学期は5月スタートになった。春学期の授業回数を確保するために、休日にもキャンパスに向かった。無力感につつまれ、何をするにもためらいがちだったあの夏に「未来構想キャンプ」がはじまったのだ。

変化を拒まない。そして、何があっても目の前の状況に立ち向かう。ぼくたちにどれほどの気概と実行力があるのか、ぼくたちこそが試されている。そんな気持ちで「未来構想キャンプ」にかかわった。前夜には、担当する教員たちが興奮して眠れないような雰囲気になって、夜どおし語っていた。

キャンパスのことを知る手がかりは、たくさんある。ウェブサイトやガイドブックなどをはじめ、オープンキャンパスのようなイベントでは「模擬授業」も提供される。「未来構想キャンプ」は、高校生たちとの距離をさらに縮める体験型のプログラムだ。課題に取り組みながら、朝から夕方まで一緒に過ごすのだから、おのずと一人ひとりの人間性を見せ合うことになる。ここ数年実施していた滞在型のワークショップであれば、文字どおり寝食をともにしながら過ごす。どこで、誰と、どのように学ぶか。この「キャンプ」をとおして、お互いの相性を確かめることができる。
今年は、SFC創設30年であるとともに、「未来構想キャンプ」は10年目という節目だった。ぼくは、特別研究期間(サバティカル)で一度だけ参加の機会を逃したが、初回からずっとかかわってきた。おそらく、高汐さんに次いで「参加率」は高いはずだ。その自負もあって、少しばかり意地になっていたのかもしれない。とにかく、今年も開催できることを願っていた。教職員とSFC生の想いが束ねられて、オンラインでの「未来構想キャンプ」が実現した。

ぼくは、若新さんとともに“「サボり」ワークショップ”を担当した。このテーマを思いついたのは、ここ半年間の窮屈な状況と無関係ではない(概要や経過については、別途まとめているところだ)。春学期がはじまってから、ぼくたちの物理的な移動が著しく制限されるようになり、一日の過ごし方がずいぶん変わった。オンライン化に慣れるにつれて、時間割もスケジュール表もムダのない形になったように思える。効率的になって歓迎すべきことはたくさんあるのだが、いっぽうで休憩や移動にともなって生まれるはずの「余白」や「間(ま)」がそぎ落とされていった。ちょっとした立ち話や、誰かと偶然に出くわすようなことの大切さを、あらためて感じている。おなじように、「サボる」ことの意味や価値も変わるのではないか。それが出発点だった。「サボる」ときには、勇気も冒険心も求められるだろう。仲間が必要かもしれない。善し悪しについては状況しだいだが、「サボる」ことは、たんに逃げ出すのではなく、自由を求めて想像力を動員し、行動につなげることなのではないか。そんなことを高校生と語ってみたかった。

これまでの「未来構想キャンプ」は、8月の猛暑のなかで開催されてきた。暑いし疲れるし、終わるたびに来年は休もうと思いながらも、高校生たちの熱気と同僚たちのテンションの高さに惹かれて結局は翌年も参加する。それが、ずっと続いてきた。今年は秋の一日。初のオンライン開催だったが、とくに大きなトラブルもなく、無事にフィナーレを迎えることができた。画面越しに届けられる声は、どれも瑞々しい。参加した高校生たちの意見や感想をまとめたアンケートの結果はまだ見ていないが、全体をとおして好感触だった。なにより、教員やSFC生たちから、ひと仕事終えたあとの高揚感がにじみ出ていた。
土屋さんも触れていたのだが、参加した高校生たちは、オンラインでの実施について不自由を感じているようすはなく、もはや「あたりまえ」になっているようにさえ見えた。「あたりまえ」のように背景画像を設定し、いちいち「聞こえますか」などと言わずに、ごく自然にマイクのミュートボタンを操作する。開放されていたブレイクアウトルームを自在に行き来しながら、ワークショップの時間を過ごしていた。

大学生という未来を想い描きはじめた高校生たちは、オンキャンパスもオンラインもふくめてさまざまな開講形態がありうることを、すでに身体でわかっているのだ。オンラインで受講することで、時間と空間のありようが再編成されてゆくことにも、きっと気づいている。大人が口にする「あたらしい日常」は、今年オンラインで出会った高校生たちにとって、少しもあたらしくはない。みんな準備をして、すでに未来にいる。そんな未来に出会った。