賢く、慎ましく。

2021年6月11日(金)

SFC生の皆さんへ、新型コロナへの対応状況について(2021年6月11日) | 慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス(SFC) より転載

6月7日、うれしいニュースが届きました。すでに目にしているかもしれませんが、新型コロナウイルスワクチンの「職域接種」について、慶應義塾でも、学生・教職員等を対象とする50,000人規模のワクチン接種がすすめられることになりました。この計画にかんする伊藤塾長と北川常任理事のビデオメッセージが公開されているので、参照してください。おそらく、もろもろの段取りや準備など、現場はこれからが大変なのだと思います。
ただ、まだはじまってもいないし、実際に接種を受けたわけでもないのに、気持ちが和らぐから不思議です。まだまだ油断できる状態ではないと知りながら、夏休みや秋学期のことを思い浮かべて、ずいぶん明るい気分になりました。それほどまでに、窮屈な毎日を送ってきたということです。まずは、この計画の実現に向けて、じつに多くのかたがたの強い想いと行動力があったことに感謝しましょう。

いっぽう、このうれしいニュースを耳にしながら、いろいろなことを考えました。そもそも、この発表を聞いて前向きな気持ちになれるのは、ぼくたちが「対象者」だからです。つまり、幸いにも「(慶應義塾の)学生・教職員等」にふくまれているからだということ。確かにうれしい。でも、少し早くチャンスがめぐってきたということに、はしゃいでいてはダメです。塾長のメッセージのとおり、ワクチン接種の目的は「安全な学習・研究・課外活動・留学環境を整える」ためです。
その上で、想像力をはたらかせて、さらに「社会」へと発想を広げてみてください。どのような順番で接種がはじまるのか。留学生たちにもきちんと情報が届いているのだろうか。自分はいち早く接種できるけど、家族はどうなるのだろう。他大学に通う親友は、どう反応するだろう。そして、ワクチン接種は任意だということ。ワクチン接種は推奨されるかもしれませんが、打つかどうかは、一人ひとりがえらぶことです。当然、その判断は尊重されなければならない。打たなかった人が、不利益を被るようなことはあってはならないでしょう。
「対象者」が決まるということは、おのずと「対象外」も決まるということです。さらに、おなじ「対象者」であったとしても、一人ひとりはちがう判断をするかもしれません。うれしいニュースは、複雑な日常を考えるきっかけになります。

そして、もうひとつ。一日あたりの感染者の報告件数が減少傾向にあることから、SFCのBCP(事業継続計画)を見直しました。検討の結果、6月21日から、ふたたびキャンパスでの対面授業を再開することが決まりました。春学期「オンキャンパス」開講に指定されていた科目については、再度、対面に変更されることがあります。詳細については、担当教員や学事からのメールなどをよく読んでください。学期のはじめにキャンパスで開講し、途中でオンラインに移行し、もういちど対面に戻るというのは、これまでになかったケースです。一人ひとりの学生の状況も、また教員の方針や計画もそれぞれです。上述のワクチン接種の話と同じく、キャンパスに戻ることにかんしても、いろいろなことに想像力をはたらかせて考えてください。
緊急事態宣言の発出にともなって、4月末から7週間ほどは、全面的にオンライン開講になり、そのなかで、実家に戻っている学生もいるようです。オンライン開講に合わせて、授業計画を再構成した教員もいるはずです。この先も、対面に戻すことなく、オンラインの授業が続くことになるかもしれません。そして、対面授業に戻れるようになっても、心理的に不安を感じる人もいるでしょう。

公共交通機関、とりわけ湘南台とキャンパスを行き来するバスについては、感染予防対策を欠かすことなくじゅうぶんに注意して利用してください。湘南藤沢中等部・高等部の生徒たちの通学時間帯は、混雑が予想されます。ピーク時の目安となるデータを参考に、可能なら時差通学を心がけましょう。4月のはじめは、キャンパスで、昼食時などにマスクをはずして談笑する姿を見かけました。食事の時間・場所については、引き続き注意が必要です。しばらく限定的な営業だった各店のサービスが元のペースに戻るまでには、少し時間がかかる場合もあります。混雑を避けるため、たとえば昼食を持参するなど、工夫するとよいかもしれません。

相変わらず、「正解」がわからない状況のなかで、一連の判断が続いています。ぼくたちに求められているのは、「社会」への想像力とともに、その時・その場の状況を熟考することです。先日も書きましたが、こんなときこそ、思いやりのあるコミュニケーションを心がけることが大切だと思います。一人ひとりが賢く、慎ましく。ぼくたちの「キャンパスライフ」は、他者とのかかわりなしには成立しません。ここ数日は、夏のような陽気で、空の青さとキャンパスの緑に活力をもらっています。近いうちに、キャンパスで会いましょう。

Now is the time for communication

Friday, May 21, 2021

SOURCE: https://www.sfc.keio.ac.jp/emergency/sfc_covid-19/message/20210521e.html

In the blink of an eye, the second half of the spring semester is upon us. For the first few weeks of the semester, I was able to meet everyone at the on-campus classes. Although I was excited to be back teaching again in the classrooms after such a long time, due to the declaration of a state of emergency we decided to move classes back online. Even now, after Golden Week has passed, our days continue to be unsettled.
Comparing the situation at SFC with other campuses and universities, or even merely strolling around the city, leaves me with mixed feelings. With so many restrictions in place, you may be left with a sense of injustice comparing the current situation at SFC and the rest of society.
Although the three of us (deans) have different ways of thinking and approaching things, we arrived at these decisions based on the understanding that what we are currently facing are matters of life and death. Policies regarding class formats and the use of the campus and its facilities will be determined by Keio University, considering the unique characteristics of SFC. We cannot necessarily predict our future, whether or not such predictions are based on data. We have no choice but to accept what the future holds in store and make decisions in the course of this.
I am sure that the other two faculty deans have received even more questions and suggestions than I have. Listening to each student and coming to an understanding of their situation, it is clear that current "rules" and "regulations" as they stand are perceived as extremely restrictive. However, if nothing serious happens, it will just be a question of patting yourself on the back later. It's too late once something actually happens. My priority is solely to protect our "campus life."

In the midst of all this, many things have crossed my mind of late. For example, what kind of leaders do we expect when the situation around us is constantly changing and we are confronted with complex issues for which there is no single right answer? In the current situation, people are looking for strong leaders and want to hear authoritative statements from them (I am not a strong speaker, so I guess I'm not well suited to be a leader in today's society).
Strong words can unite and bring about a sense of unity to many. Still, they can also cause us to become overly dependent on our leaders and to abandon thinking for ourselves, leading to a loss of autonomy and independence. Strong words can also lead to division by leaving no room for ambiguity and blurred lines.
That is why I think there is significance and merit to the three of us writing our messages in our own words. Sometimes decisions can be delayed or confusing, but it is important to respect a multitude of voices; listening to many "voices" while speaking in our own "voices." This will allow us to think for ourselves and behave wisely. Since various information may be provided through multiple routes and at different times, I think there is room for these to be somewhat more straightforward. With the expectation that the situation will improve little by little, we will apprehend the daily updated information, read it carefully, and take appropriate action. Let's make these our basic actions.

Another thing that worries me is that all of our communication seems to have become a little chaotic of late. Online communication has increased tremendously, and I have learned from experience how efficient it can be. As is often pointed out, while we are enjoying this efficiency and convenience, various "margins" have undoubtedly been jettisoned. It seems that messages from various corners of a dry and bureaucratic nature are on the rise, of the nature of the phrases like "Details are in the e-mail" or "Please check the website." COVID-19 may have revealed the true nature of our humanity to us.
However, it would be strange for us to be unkind to each other for such a reason. Leave room in your imagination for others. Even if you are all remote from one another, and even if it is through a screen, there is always someone on the other side who makes you who you are. We need to be conscious of our communication now more than ever before. I always want to remain conscious of the importance of talking to each other and calling each other by name to mitigate awkward and unpleasant situations. With a little effort and ingenuity, our feelings of being constrained will soon be at an end.

大学のいま

2021年6月8日(火)

出典:大学のいま|政策・メディア研究科委員長 加藤 文俊 | 慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス(SFC)

あの騒ぎがきっかけになって、本格的な検討がはじまった。あたらしく導入された「時間割」は、ようやく定着してきたようだ。最初はやはり賛否両論あって、どのように落ち着くのか想像できなかった。そもそも正解はわからず、しかも簡単に「リセット」できるようなことではないので、意見の衝突は避けられない。幸い、学生も教職員もバラバラに分断されてしまうことなく、ひとまず平穏が保たれている。
ぼくは、何人かの同僚たちと、いっそのこと「設置基準」などにとらわれることなく、ぼくたち独自の「基準」にもとづいた、あたらしい「塾」をつくろうと提案していたのだが、夢ばかり語るなと揶揄され、若手の教員たちからも不評だった。でも、ぼくが20年以上前から唱えていた「生活のなかに大学があり、大学のなかに生活がある」という考えが、わずかながらも活かされることになった。

相変わらず、一限、二限といった「時間割」は基本的にはそのままだ。つまり、相変わらず週ごと、学期ごとに一連の段取りや手続きが整理されている。いまだに「学事日程」が、ぼくたちの生活のリズムをつくっているのだ。とはいえ、当時を知る人からすれば、ずいぶん変わったのだと思う。ぼくの提案が全面的に受け入れられて、一限の授業(9時〜10時半)は、すべてオンラインに移行し、午前10時半から午後1時までは「自由時間」になった。だから、朝は比較的ゆっくり過ごしてから、通学や通勤をはじめればいい。ついに、ぼくたちの昼休みは長くなった。これによって、学生はだいぶ救われたらしい。教職員の生活スタイルにも、好影響があったようだ。とにかく、朝が忙しすぎたのだ。
「オンライン」での授業歴も、すでに20年になった。あの年は、不安をいだきながら暗闇に向かってしゃべっているような感覚だったが、あらためてふり返ってみると、当時の大学はインターネットに救われたのだと思う。全教員がオンライン授業を実践したという、歴史に残る年だった。現場でのドタバタは茶飯事で、理不尽に思えることもたくさんあった。でも、ひとまずスマホさえあれば、なんとかなった。「授業」が途切れることはなかった。

f:id:who-me:20210601120441p:plain

どんなに時間が経っても、都心との距離は変わらない。郊外型のキャンパスは、多くが都心に戻ってしまったが、ぼくたちのキャンパスは、さらに個性を際立たせることになった。近隣のようすは、創設時からは想像できないほどの変貌ぶりだ。いっぽう、20年前の体験のなかで、一人ひとりの価値観が人目に晒された。目に見えないリスクに向き合うとき、どのように人と接するのか、何を大切にするのか。無情なまでに、お互いの人間性を露出し合うことになった。それぞれの危機意識はちがうし、大学に何を求めているかということさえ、いくつもの考え方があることにあらためて気づいた。もちろん「何でもアリ」ということにはならないが、空疎に響いていた「多様性(ダイバーシティー)」ということばが、多少なりとも実態をともなう形で理解されるようになった。時間と空間をどのように共有するのかという原点に立ち返って、たとえば「オンライン」か「オフライン(対面)」か、「オンキャンパス」か「オフキャンパス(自宅あるいは公園やカフェなど)」かなど、さまざまな側面から授業の開講形態の多様化がすすめられた。

鉄道の延伸もふくめて、通学・通勤に要する時間を短くしたいという思いは消えない。だから、都心から50キロの移動をどのように実現するのか、議論は絶えない。いっぽうで、しばらく家に閉じ込められていたことへの反動だろうか。のんびりと片道50キロの移動を味わいたいというニーズも無視できなくなった。鈍行ならば乗客も少ないし、静かだ。そんなニーズにも応えられるように、いまでは「オンムーブ」という開講形態もある。ドリル形式で知識を取得する内容であれば、移動中に授業を受けることもできる。たとえば、朝一番で自宅で「オンライン」の授業を受けて、それから「自由時間」をつかって移動する。移動中は「オンムーブ」の授業を受ける。「自由時間」ともなれば、ラッシュのピークは過ぎているので快適だ。そして、午後はキャンパスで対面の授業を受ける。じっと家にいるわけでもなく、すべてをキャンパスでまかなうわけでもない。
不思議なもので、キャンパスからちょうど90分くらいのところにある物件が人気だと聞く。「オンムーブ」の授業を活用するためには、ほどよく離れていたほうがいいからだ。もちろん、キャンパスのなかにある寮に住めば、またちがったライフスタイルで過ごすことになる。

ぼくは、「朝ドラ」を見てから身支度をして、自宅から一限の授業を配信した。授業を終え、午後は「研究会」があるのでキャンパスに向かった。やはり「研究会」は対面がいいし、なにより、自然の豊かなキャンパスは気持ちがいい。オンライン空間にキャンパスや教室を再現する試みは、ひと頃にくらべると格段に進化しているものの、やはりリアルなキャンパスにはかなわない。そして、50キロくらいの移動は、ちょっとした旅行のような気分で過ごせるようになった。毎日のように通っていた頃は、辛い通勤時間に感じられていたが、オンライン授業との組み合わせや、あたらしい「時間割」のおかげで身体への負担が減って、日常生活のなかで旅の気分を満喫できるのはむしろ健康的なのだ。
夕刻、「研究会」が終わってから、学生たちと一緒に滞在棟のキッチンに移動して晩ごはんをつくった。アイランドを囲んで、野菜などを刻みながら談笑するひとときは格別だ。そのあとは、遅くまであれこれと語って過ごした。明日は、朝一番で対面の会議があるので、滞在棟に泊まることにした。

「キャンパス」「教室」「授業」「研究室」「通学」など、大学を語るための多くの概念は、20年前を境に刷新された。「オンライン」でできることは「オンライン」で。時間や場所にしばられずに学ぶ。「オンキャンパス」のよさを知っていればこそ、ちいさな旅行を楽しみながら通う。「密」な時間を取り戻したので、泊まり込みで夜通し語り合う。20年前の大学を懐かしく思い出す日もあるが、いまの大学生には想像できないことが、たくさんあるにちがいない。大学は、変わらず面白い。いまも大学は、たくさんの人と出会い、自分を豊かにする方法や態度を学ぶ場所なのだ。*1

*1:注:今回の「おかしら日記」は、20年後の「いま」を想像しながら書いてみました。もちろん、20年後はどうなっているのかわかりません。ぼくは、すでに隠居しているはずなので、「研究会」のためにキャンパスに通勤することはないでしょう。ぼくたちの暮らし方、大学のあり方など、どのような「いま」がありうるのか、想像してみることは大切だと思います。この文章は、今学期開講している大学院アカデミックプロジェクト(AP)「経験の学」 で、大学院生たちと「未来」について語り合うなかから生まれました。