2019年10月1日(火)*1
解放されたのは、午前4時ごろだった。残念ながら、期限には間に合わなかったが、なんとか無事にウェブサイトを公開することができた。15年前の春。当時、ぼくは学部の広報を担当していて、ウェブサイトのリニューアルにかかわっていた。その日は、あたらしい年度をむかえるのと同時にウェブサイトを切り替えるという段取りで、広報やITCのスタッフのみんなとともに、制作会社の担当者とやりとりしていた。夕方から、最終チェックがはじまった。リンク切れやページの表示などを一つひとつ確認して、終わった項目からチェックを入れて消してゆく。だが、そのなかで、あらたな問題が発生する。かなり長いチェックリストだったが、消すたびに、また別の項目が追加されていった。じきに部屋の空気は淀んできて、(口には出さなかったが)「ダメかも」と思った。結局、帰るのをあきらめて、みんなで夜通しその作業に向き合うことになった。夜の間は、ずっと雨が降っていた。
そして、明け方。最後に遠山さんがリターンキーを押して、あたらしいウェブサイトが公開された。「おかしら日記」は、その時に生まれたものだ。記念すべき最初の記事は2004年4月1日。年度中(〜2005年3月31日まで)は、50本近い記事が掲載されたので、ほぼ「週刊」のペースで更新されたことになる。その後、ウェブサイトは何度か変わったが、これまでの「おかしら日記」は、アーカイブですべて読むことができる。
ぼくが、15年前に「おかしら日記」を提案したのは、とても単純な理由からだ。「おかしら」は、学部長、研究科委員長、事務長など、このキャンパスで「長」のつく役目の人びとを束ねた呼称だ。「おかしら」による公式の発表や報告(たまに謝罪)は、ウェブにかぎらずさまざまな媒体に掲載されるが、その多くは形式ばったものだ。ぼくは、「おかしら」たちの、もっと素朴な〈声〉を聞きたかった。ウェブのコンテンツであることを活かして、その時々の新鮮な〈声〉をつかまえておきたかった。キャンパスは、ぼくたちにとって大切な場所なのだから、少しずつでも〈声〉を残していけば、やがてそれは価値ある資産になるにちがいない。そう思った。実際に、アーカイブのタイトルを眺めるだけでも、この15年間をふり返ることができる。キャンパスは、いくつものハプニングの現場であり、たくさんの人びとが行き交う場所であるという、あたりまえのことに、あらためて気づく。なにより、〈多声〉を感じられるのがいい。たくさんの〈声〉こそが、コミュニケーションを促し、変化への欲求になるからだ。
そして、変化のときである。平成とともに生まれ、成長してきたキャンパスは、いま大きな節目にある。「おかしら日記」がはじまったのは、総合政策、環境情報の両学部が創設15周年をむかえようとしていた頃だ。当時が中学生くらいだったとすると、もうすぐ30歳になる。いろいろと、悩ましい時期に来ているのかもしれない。考えるべきことは、たくさんある。そのタイミングで、大学院政策・メディア研究科委員長という役目を担うことになった。学部長も、あたらしい。ぼくをふくめて3人とも「新人」なのは、きっといままでになかったことだ。だから、期待も不安もある。ささやかながら、最初の仕事は「おかしら日記」をふたたび息づかせることだ。まずは、ぼくたちが〈声〉を出すのだ。いよいよ、はじまり。