一斉休業

2022年8月6日(土)

7月の後半は忙しかった。陽性者数が急増し、8月中旬に予定されている「未来構想キャンプ」のことが気がかりだ。春学期の授業が終わり、修士課程の公聴会や中間発表もおこなわれ、学生たちは、試験や課題で忙しい時期を過ごす。そして、大学の夏季一斉休業をむかえた。大学の教員は、学期が終わると比較的自由に時間を使えるので、この一斉休業をそれほど気にせずに夏の予定を立てることができる。
大事なのは、この「夏季一斉休業」の間は事務室が閉室になるという点だ。それはつまり、事務的なメールが一切届かなくなり、学内の会議も開かれないということだ。その意味では、校務から解放されて、だいぶ気が楽になる。とくにいまは研究科委員長という役目を負っているので、日ごろはあれこれ忙しい。解放されてよろこばしい面はあるが、諸々のことが止まってしまうということでもある。対応したくても、事務室が閉室されていると、すすめられないことが多い。じたばたせずに、のんびり構えているしかない。そんなことを言っているうちに、また週明けの月曜日からいろいろなことが動きはじめるので、せめてこの週末は、のんびり過ごしておこう。

連日の猛暑のせいで、ちょっと夏バテ気味だ。まずはなるべく睡眠をとるようにしている。それから、ワクチンの4回目の接種を済ませた(翌日に腕が痛くなったくらいで、副反応はなかった)。忙しくて先延ばしにしていたのだが、検眼にも行った。この2年ほど、ディスプレイに向き合う時間が格段に増えたからだろうか。ちょっと視力が落ちたような気がしていた。メガネが合わなくなってきた感覚をおぼえながらも、なかなか出かける暇がなかった。検査を受けて、メガネを新調した。おそらく、ここのところの倦怠感は、眼の疲れと無関係ではないだろう。あたらしいメガネで、少しは調子がよくなるといい。

クルマの定期点検もあった。いまのクルマは、すでに10年ということで、あちこちに手がかかるようになってきた。今回はすり減ったタイヤを交換して、さらにタイミングベルトの交換を勧められた。数年前に交換したことは覚えていたが、それもすでに5年前だった。大したスピードも馬力もないが、荷物をたくさん積んで遠出するのにいい。あのラクダのようなクルマで、14万キロも走っている。また出費がかさむ。

そして、8月になったとたんに、ネットワークにつながらなくなった。調べたところ、通信障害があるのはウチだけで、マンション全体としては問題ないようだ。どうやら、各戸内に設置されているハブが壊れてしまったようだ。修理の訪問をお願いせざるをえないので、コールセンターに電話をかけるものの、こっちもなかなかつながらない。たらい回しにされて、何度もやりとりしているのに、結局、まだ修理の日さえ決まらずイライラしている。かろうじて、別の方法で接続してはいるが、急場しのぎにすぎない。

いちどにいろいろなモノが悲鳴を上げて、不調を訴えているようだ。校務のことは忘れて(というより、しばし見ないことにして)、少しペースを落として仕事をしている。それでも、報告書や推薦状の類いを書いたり、返信が滞っているメールを読んだり。そして、じつは学期末の採点も残されている。事務室が閉まっているあいだ、同僚たちは採点に勤しんでいるはずだ。

昨日は「採点デー」に決めて、大学に行った。涼しくて、しのぎやすい。7月のままになっていた、研究室のカレンダーをめくった。今学期は、幸いなことに対面で授業をすすめることができたので、「フィールドワーク法」の最終成果は、3年ぶりにパネルで提出してもらうことにした。学生たちにとっては、キャンパスに足をはこぶことさえ不慣れ(あるいはひさしぶり)だったはずだ。A2サイズのパネルに、成果をレイアウトする。切り貼りのような作業もあるし、なにより物理的に(ある程度)大きな空間に、情報を布置していく作業はとても勉強になる。ちいさな画面に集中するのとは、ちがう。ちゃんと、頭と手(身体)を使う感じがする。
無事に課題は提出され、回収した40枚ほどのパネルは研究室に置いてあった。さすがにウチに持って帰るのも手間なので、「採点デー」を設けることにしたのだ。せっかくなので床一面にパネルを並べて、上から眺めてみた。単純なことながら、サイズも紙の質感も大切だ。なにより、パネルをつくった学生の人となりが、にじみ出てくる感じがいい。パネルに並ぶ情報そのものだけではなく、さらにその向こう側へと誘われる。

原稿のしめ切りがせまっているが、先日の打ち合わせでだいぶ頭のなかが整理されたので、あとは書くだけだ。「もうアイデアは頭のなかにあるので、あとは書くだけです」などという学生がいると、「だったら、早く書いたものを見せて」と返す。ぼくも、書かなければ。


写真は8月5日:一斉休業中