2022年3月16日(水)
他の月とくらべて、わずか数日のちがいのはずなのに、2月はあっという間に過ぎ去った。毎年この時期に開いている成果報告の展覧会は、3月に延期したので、ちょっと間延びするのではないかと心配だった。でも、そんなことを実感する余裕もなく、ドタバタしているあいだに3月の半ばになってしまった。2週間遅れの月報(マンスリー)。
もともと、2月4日から3日間の予定で展覧会の準備をしていたが、2日には東京都の陽性者数は20000人を越えてしまった。その意味では、延期してよかったと思ういっぽうで、この先も、どうなるのか先が読めないのがもどかしい。もともと学期末から年度末へと向かう時分なので、忙しく目の前の仕事をこなしていた。冬季オリンピックは、カーリングを観戦しつつ、その話を「おかしら日記」に書こうと思っていたが、世界情勢が急変して、気持ちがざわついたままの毎日である。
この時期は、さまざまな「節目」がある。成績評価をしたり、最終報告会があったり。ここ数年続けている「合同卒プロ発表会」(諏訪研・石川研・清水(唯)研と合同)は、今年もオンライン開催になった。それでも、他の研究会の学生たちが取り組んだ「卒業プロジェクト」について話を聞くのは楽しい(むしろ、オンラインのほうが集中して聴くこととができるのかもしれない)。毎年、発表後の「質疑応答」の時間を比較的長めに取ってプログラムづくりをしているので、流れ作業のようにひたすら発表を聞くというよりも、学生からの応答、教員どうしのやりとりの時間にも余裕がある。この2年ほどは、さまざまなプロジェクトが思うようにすすまなかった。学生たちが発表が、同僚たちの(ぼくの)メンタリングの表れだと考えるならば、この合同発表会では、一人ひとりの教員のふるまいが露わになるということだ。その意味では、じぶんが試されているような心持ちになる。
それぞれのレベルや達成度を簡単に判断することはできないが、シンプルにいえば「みんな、がんばった」ということがわかった。無力感を感じていたのは、ぼくだけではないことも(なんとなく)確認できた。来年は、ぜひ教室で集まりたい。
大学院も、もちろん「節目」である。修士の学生については公聴会、論文審査が終わり、その合否結果を承認する会議が開かれた。博士課程については、今年度内に学位取得を目指す学生たちが、(いわば「駆け込み」で)公聴会や最終試験に臨むタイミングである。「最終講義」も開かれた。SFCの同僚にかぎらず、他大学に勤める(同い年の)友人も、ひと足先に大学を離れるという。
「別れ」だけではない。たとえば学部の入学試験(一般)も、COVID-19の状況をうかがいながらも、無事に終わったようだ。「研究会」のほうも、卒業生が展示の準備をするいっぽうで、来春から加わるメンバーが決まった。
大学のほうでも、3回目のワクチン接種(職域接種)が準備されているとのことだが、自治体からの連絡のほうが早く来た。調べてみたら、すぐに予約できた。1回目、2回目ともに(幸いなことに)副反応はなかったものの、いちおう、万が一のことを考えて、週末に予約して接種を終えた。腕が少し重いくらいで、副反応はなかった。
『三田評論』の座談会の企画でお声がけいただき、司会を務めることになった。出席メンバーは、結局のところSFC関係者ばかりだったが、卒業生もふくめ、この企画がなければ集うことのなかった組み合わせだ。ときどき、「社中」の紐帯を(やや過度に)求められる感じには閉口気味なのだが、たまにはいいだろう。記事のみならず、特集テーマの企画そのものが人を出会わせるのだから、これは人と人との仲立ちをする媒体として、じゅうぶんに役目を果たしているといえるだろう。(これは、4月号に掲載予定。)
レディオ湘南 FM83.1・藤沢市広報番組『ハミングふじさわ』の収録もあった。大学広報の一環で、職場のこと、藤沢市のことなど、パーソナリティーのかたとやりとりしながら収録。一昨年の春以来、オンライン授業というのは、ラジオみたいなものだ、とつねづね感じていた。姿の見えない、聴いているかどうかの手がかりもほとんどない。暗闇に向かって、授業内容をしゃべり続けるような感じは、ラジオに近いのではないかと思っていた。「広報」に役立つ内容をしゃべったかどうかはわからないが、リラックスして話をすることができた。(これは、3月14日・15日の2回に分けて放送された。ネットでも聴くことができるらしい。ぼくは、まだ聴いていない…。)
じゅうぶんに注意は必要なのだが、少しずつ外に出るようにしている。少しずつ暖かくなってきた。わずかながらも、キャンパスの芝生が緑色に変わりはじめているようだ。
写真は3月16日:こんなところにこんなテーブルとイスが。