2022年1月6日(木)🐅
新年は東京で迎えたが、 そのあとの数日は、3年ぶりに伊勢で過ごした。前回は、年号が変わる前がいいだろうという理由で、平成最後の春先に出かけたのだった。この2年間は移動がままならなかったので、東京駅のホームを歩くだけで新鮮な気持ちだ。タイミングがよかったのだろうか。電車は比較的すいていた。ここ2週間ほどは感染者の報告数が少しずつ増えていて、ちょっと緊張する。朝から青空で、車窓から雪をたたえた富士山を眺めることができた。
2日は外宮へ、そして翌朝は内宮へお参りした。混雑を避けるために早起きして出かけたものの、日の出には間に合わなかった(でも、帰りに宇治橋の大鳥居の向こうに見えた太陽は、美しかった)。内宮へと連なるおはらい町も、多くの人で賑わっていたが、みんなマスクをして、それなりに気をつけながら過ごしているようすだった。
年末の会議で、同僚のMさんが語っていたことが、ずっと気になっている。オンラインでのコミュニケーションが日常化していて、ぼくたちはずっと画面越しに、しかも相手の上半身ばかりを見ながら話すことが多くなった。相手を知るための手がかりが圧倒的に乏しいためか、知らず知らずのうちに、必要なことだけをしゃべるようになってしまうのだろう。コミュニケーションは用件のやりとりだけになって、「余白」とも呼ぶべき時間がどんどんとそぎ落とされてゆくという感覚は、多くの人が共有しているはずだ。
その状態でばかり過ごしていると、ぼくたちはある種の無力感をいだくようになるという。コンプレックスだといえるかもしれない。そうした無力感をいだいている同士がSNSなどでつながると、さらに孤立化がすすんでしまう。いうまでもないことだが、身体が伝えていることはたくさんある。一緒にいれば、ことばを発しなくても伝わることがある。もっと役目を果たしたいのだと、身体のほうが要求する。
昨年の秋からは、さまざまな「リベンジ」がはじまっている(これについては、年末に「おかしら日記」に書いた)。テレビのニュースでは、経団連など経済団体の新年祝賀会のようすが流れていた。企業の経営トップに聞く「ことしの景気」は、概して「よくなる」との予想だった。行動制限の緩和とともに個人消費が回復し、景気も「よくなる」というシナリオだ。この2年間が冷え込んでいた分、期待も高まっているのだろうか。もちろん、それほど単純な話ではない。あちこちに疲弊感は漂っている。さまざまな仕組みや方法については、これまでさほど疑うことなく受け容れてきた(というより、課題に目を向けずにいた)ものの、本質的な問題が露呈しているようにも見える。
きょう(6日)から事務室が動きはじめて、(予想していたとおり)朝からメールがたくさん届く。「やります」といいながらそのまま年を越してしまった案件に対応したり、次年度に向けた申請を出したり、いろいろと忙しい。修士論文や卒業プロジェクトも、初稿を読んでコメントを書いた。そういえば、シラバスの入力しめ切りも迫っている。とにかく、この時期にいろいろなことが集中しすぎるのだ。みんな気づいているはずなのに、これはなかなか変わりそうにない。
外は雪が降っている。明日は、キャンパスに行く予定だが、オンラインに切り替えたほうがいいだろうか。ふだんなら、初雪なのだから、もっと気分が上がるはずなのに、きょうはちがう。東京都の感染者数は、いきなり600人を超えてしまった。ちょうど日が暮れるタイミングで、なんだか暗い気持ちになる。
今年は寅年である。調べていたら、今年は36年に一度の「五黄の寅年」で、「最強金運の年」だという。36年前というのは1986年。バブル景気のはじまりだった。何かがはじまる年、変化へと向かう年なのだろうか。経営のトップたちは、かつてのバブル景気に重ねながら「ことしの景気」に期待しているのだろうか。
いろいろと調べていたら、SFCを生み出すことになる「新学部検討委員会」は、1986年に発足したことがわかった。なるほど「五黄の寅年」の勢いだったのか。寒い一日だったが、なんだか身体が少し温かくなってきた。ぼくも、36年ぶりの「五黄の寅年」にあやかって、よい年にしたい。なにしろ、寅年生まれなのだ。
無事に年越し。本年もどうぞよろしくお願いします。🎍🙇🏻🎍
写真は2022年1月3日:伊勢神宮(内宮)にて。