気づけば20年

2021年11月6日(土)

「ニューノーマル」ということばは、あまり好きではない。「あたらしい日常」も(訳しただけか)。「ニュー」や「あたらしい」を付けようとするのは、なんだか安直な気がするのだ(自戒も込めて)。 #TさんとWさんと私 の22か月、そして #KさんとWさんと私 の2か月を経て、 #KさんとIさんと私 の1か月があっという間に過ぎ去った。緊急事態宣言が解除されるタイミングで秋学期がはじまり、少しずつ忙しくなってきた。これを書いているいま、東京都の感染者の報告数は20数名まで減少し、これまでの緊張感も少しずつ緩んできたようだ。

テレビのコメンテーターが、道路の渋滞にたとえて話をしていた。渋滞で、ノロノロ運転が続いていたとしよう。ヒドいときは、車列が動かなくなってしまうこともある。ぼくたちはイライラを募らせ、最初にナビから告げられていた予定到着時刻が、少しずつ後ろに修正されていくのを眺める。やがて渋滞を抜けると、スピードが上がる。ぼくたちは、「遅れ」を取り戻そうとして、つい勢いよくアクセルを踏む。このとき、いつもとちがう運転のしかたになっている。「平常運転」を経ることなく、ノロノロから、いきなり高速回転へ。これは、やはり注意したほうがよさそうだ。もちろん、クルマにも負担がかかる。いまは、まさに渋滞を抜けたような感じだ。

この1か月は、かなり忙しかった。異動があって、仕事のしかたも情報の流れかたも変わり、さらに対面の場面が急増した。オンラインでの会議や授業にはすっかり慣れたが、対面が入ってくる(戻ってくる)と、なかなか面倒だ。一日中「ステイホーム」だと決まっていればスッキリするのだが、そうもいかなくなってきた。じぶんの時間感覚、移動の体験を、あらためて確かめながら、少しずつ身体をなじませていくのがよさそうだ。しばらくその必要がなかったために、移動に充てる「所要時間」を見積もるという感覚がずいぶん鈍ってしまった。おまけに、2年前から秘書室とカレンダーを共有するようになって(もちろんすべてを共有しているわけではないけど)、「空き」は容赦なく埋まっていくようになった。だから、「どこ」にいるかを共有しておかないと悲劇が起きる。郊外型キャンパスと、どうやってつき合うか、渋滞を抜けながらよく考えなければならない。(言うまでもなく、この問題は、学生たちのこれからの学びかたを考えるときに注意しなければならないものだ。オンラインと対面の講義が混在する時間割をつくったとしても、移動にかかる時間やストレスに配慮しておかないと、あっという間に疲弊する。)

とはいえ、少しずつでも移動という体験が戻ってきたのはうれしい。10月の中旬、ひさしぶりに片道200kmくらいのドライブをした(幸い、道路は渋滞していなかった)。これまで、フィールドワークなどもふくめて、そのくらいの遠出は「日常」だった。だから、こうやって書き留めておくほどの出来事ではないのかもしれない。サービスエリアに寄って伸びをして、お土産を冷やかして、またハンドルを握る。こういうのが、じつは気持ちいい。ほどよい疲れとともに、「旅する身体」を実感した。
先週は、長野に暮らす友人から連絡があって「ひさしぶりに東京に行くから、都合がよければ会いましょう」ということになった。ゆるく声をかけたりかけられたり、そういうコミュニケーションが妙に懐かしい。「不要不急」ということばに押さえつけられていたので、「都合がよければ」などというやりとりは、消えてなくなっていた。「ごめん、またこんど」とか「ちょっと後から合流します」とか、ゆるやかに時間をやりくりしながら成り立つ関係は、とても大切なものだ。すべてが「用件」になり「アポ」となってカレンダーを埋める。それが続いていたのだから、ついアクセルを踏み込みたくもなる。

さて、話は変わって、永年勤続者表彰について。勤めて20年ということは、わかっていた。じつは、昨年はSFCの創設30年と、勤続20年というダブルの「節目」だったが、COVID-19のおかげでそれどころではなくなった(そして、表彰規程や表彰式があることは忘れていた)。規程によって、「永年の労に謝意を表して…」表彰式に招かれた。もちろん、30年、40年で表彰されるみなさんもいる。ぼくにとっては、もはや30、40はありえないので、この最初で最後の表彰式に参列することにした。
まだふり返るには早いと思いながらも、20年。まぁ、よく働いた(働いている)と、じぶんでは思う。具体的に何か大きな仕事を成し遂げたというわけでもなく、一つひとつ(できるかぎり)丁寧に誠実に向き合おうと心がけることしかできなかった。それこそがぼくの「日常」で、規則的なくり返しのように見えても、役目が変わったり同僚が変わったりしながら、いつもちがう。毎日を「あたらしい」と思えていることが、ぼくにとっては幸せなことなのだと思う(←もちろん、だいぶ美化しています。実際には惰性や弛み、手抜きがあることは自覚しています)。きょうも晴れた。

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写真は10月中旬:ひさしぶりに遠出して、棚田を眺めた。