キャンパスへ戻ろう

[15] 2020年9月21日(月・祝)

15.1 ずっと、あたりまえだったこと

ずいぶん、キャンパスから遠ざかっている。緊急事態宣言の直前にキャンパスへの立ち入りが禁止されたので、すでに半年近くになる。まちには、少しずつ活気が戻っているのがわかる。小中高は“日常”に戻りつつあるのに、「なぜ大学だけが“日常”が戻らないのか」といった記事もいくつか見かける。*1
9月の初め、秋学期の授業形態にかんして、「オンライン授業を継続しながら、一部の授業をオンキャンパス(対面)で実施する」という方針が発表された*2。実際には、この方針は7月の終わりの時点で発表されていたので、9月になっても、そのまま変わらないということだ。

授業形態は、今後の状況しだいで、変更を余儀なくされるかもしれないが、学事日程そのものはすでに決まっている。寒い季節に向かうことを想定して(だと思うが)、秋学期は短縮され、年内にすべてを終えることになる。学期末のレポートや試験などは、いつもどおり1月中の実施が想定されている。春学期は、すべての科目がオンライン開講になり、さらに課題やレポートの提出期限のタイミングが集中したことで、学生たちにはかなり負担がかかったと聞く。たぶん、補講などもふくめ、さまざまな調整のために「余白」をつくっておくということなのだろう。

大学生がキャンパスに通う。これは、あたりまえの(あたりまえだった)ことだ。だから、キャンパスで過ごしたい。いま、新学期に向けて、少しずつキャンパスに戻ることができるよう、入構ゲートが設けられたり、教室利用のガイドラインが整備されたり、いろいろな準備がすすめられている。新入生たちは入学してから、一度もキャンパスに足をはこぶことなく、夏休みをむかえてしまった。オンラインで受講していながらも、「じぶんは本当に入学したんでしょうか」という質問が寄せられたとも聞く。たしかに、入学したとたんに(それ以前に、入学式もおこなわれていないわけで)、すべての授業をオンラインで受講することになったのだから、大学生であるという実感はえがたいのかもしれない。

新入生のことは、もちろん考えなければならない。だがそのいっぽうで、ぼくは4年生たちのことが気になりはじめた。いま述べたとおりの学事日程だから、4年生たちは、一部の授業をオンキャンパスで受講するとしても、10月に秋学期がはじまってから、わずか3か月で「区切り」をむかえることになる。つまり、それは学生生活が終わるということだ。あと何回、キャンパスで過ごすのだろうか。新入生をふくめ、他の学年であれば、まだキャンパスライフを謳歌する機会がありそうだ。だとすれば、まずは、卒業を控えている4年生たちのことを考えよう。
ぼくが、じぶんの立場ですべきこと何か。それは、(ごく真っ当なことをいえば)きちんと「卒業プロジェクト」をやり遂げて、毎年度末に開いている成果報告の展覧会を実現できるようにすることだ。COVID-19を、必要以上に“言い訳”にすることなく、よい成果をまとめて世に問う。そこまでの道行きを、前向きに応援しよう。そう思った。もちろん、いつだってそれは頭にあるわけだが、年内に秋学期が終わるという学事日程がいよいよ現実的に感じられるようになって、その気持ちが強くなった。

まずは、4年生たちと(対面で)会うことにした。さっそく、近所にある貸し会議室を予約した。利用枠は4時間単位に設定されているので、13:00〜17:00まで。「卒業プロジェクト」の進捗や展覧会のことを話したいと思っていたが、それほどきちんと議題を決めることはせず、途中の出入りも自由にすることにした。もともと定員19名の部屋が、定員7名に設定されて貸し出されている。
そして、4年生たちのほぼ全員と(予定が合わずに参加できない学生もいた)、およそ半年ぶりに会った。春学期をとおして、オンラインで定期的に会っていたし、ときどき面談の機会をつくって画面越しに話すことはあった。でも、6名ほどで一つの部屋に集うのは、ずいぶんひさしぶりだった。まずは「無事でよかった、元気でよかった」という気持ちになった。リアルに顔を見ることができた。取り戻すべきは、大学生たちの“日常”だけではない。教員たちも、少しずつ“日常”に戻るのだ。
マスクをして、距離を取りながらあれこれと話をした。「卒業プロジェクト」のことも展覧会のことも話したが、他愛のないやりとりも時間の多くを占めた。結局、ずっと話をしていた。のんびりと、それでもあまり途切れることなく、おしゃべりが続いた。この半年ほど、欲していた時間だった。いままで、あたりまえのように続けてきたことなのに、数時間、学生とおしゃべりをしただけで、ぐったりと疲れてしまい、その晩は、すぐに寝てしまった。ふたたびキャンパスに戻るためには、少しずつ体調を整えていく必要がありそうだ。思いのほか、長きにわたってあたりまえのリズムから遠ざかっていた。だから、“リハビリ”ということばを使っても、決して大げさに聞こえないはずだ。

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15.2 ふたたび「距離」について考える

あと10日ほどで新学期だ。9月17日に、夏季「特別研究プロジェクト」が、はじまった。これは、夏休みの期間を利用しておこなう、いわゆる「集中講義」である。これまでに、国内外をふくめて、宿泊をともなう形の「特別研究プロジェクト」を何度か実施してきた。今年は、宿泊はムリでも、せめてキャンパスで開講できるように申請を出した。
初日。さまざまな制限はあるものの、オンキャンパスでの開講が実現した。ひさしぶりに、学生たちとキャンパスで対面した。この数か月は、大学までの通学時間を見越して家を出ることもなかったし、なかにはキャンパスに来るのが初めてという学生もふくまれている。あたりまえのことだったとはいえ、いきなり「これまで」のスピードに戻ろうとするのではなく、ゆっくりと身体を整えてゆくことにしたい。
まずは、あらためて「距離」について考えてみることにした。ぼくたちは、新型コロナウィルスの感染拡大をきっかけに、「社会的距離」ということばを頻繁に耳にするようになった。このことばについては、すでに「社会的距離」というタイトルの記事に書いたとおりだ。*3

公共スペースでも、店でも、いろいろな場所で「社会的距離」を維持することが求められている。床にその目安となるテープが貼られていたり、サインボードなどで注意喚起を試みたり、「距離」にかんするメッセージがあふれている。
簡単なことではないと思うが、もしぼくたちが、適切な距離感(この場合は2メートル)を身体で理解していれば、床のテープも看板もいらなくなるはずだ。さまざまな状況(situation)を頭に思い浮かべながら、「2メートル」を意識しながら、キャンパスをとらえなおすという(ちいさな)演習(フィールドワーク)をおこなった。まず、一人ひとりに2メートルの紐を配った。これが「ものさし」になる。キャンパスを自由に歩き回って、さまざまな「2メートル」を探す。もちろん、お互いに写真を取り合うこともできる。一時間ほどで、写真が集まった。

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【2020年9月17日(木)|特別研究プロジェクト】おなじ2メートルでも、状況の理解によって、ことなる展開がありうる。左は、さらに近づこうというシナリオ。右は2メートルという間隔を保ったまますれ違うケース。相手との「距離」をどのように調整するかは、コミュニケーションにかんする意思表明、つまり関係の表れとして理解することができる。この日の活動については → https://camp.yaboten.net/entry/2020/09/17


写真を眺めながら、あらためて「2メートル」について考えてみた。なかでも面白いと思ったのは、この2枚だ*4。いずれも、キャンパスで友だちと出くわすという、“日常”のひとコマをとらえている。ぼくたちの関係は、「距離」に表れる。それは、(その時・その場での)相手との「間(ま)」をどう理解しているかを反映するものである。左側の写真には、「(中略)... 階段を駆け上って彼女と合流。」という(実体験の回想にもとづいた)キャプションが添えられた。「2メートル」は、相手が誰であるかを確かめることができるくらいの「近さ」で、そのコンタクト(お互いの存在を見留める瞬間)を起点に、お互いに近寄っていくという状況だ。この状況での二人は、さらに近づくことを求め合う関係だ。
いっぽう、右の写真では「よっ友」と出くわす場面が語られる。これは、ぼくたちの“日常”には、「2メートル」程度の「間」が適切だと思われる関係があることを示唆している。つまり、わざわざ近づくほどの関係ではないということだ。少なくとも、この場合は、「2メートル」を保ったまますれ違うのがよいと(お互いに)考えている。

ぼくたちは、ウイルスの感染拡大を防止するため、安全のための「間」として「2メートル」を意識するようになったが、そもそも、コミュニケーションは絶えず、相手との「距離」を調整する過程なのだ。ホールのいう「社会距離」は、そもそも「相手に手が届かない(つまり、ビジネスなど公的なやりとり)」くらいの「間」だ。*5

キャンパスへ戻る。学生たちは、“リハビリ”が必要だということを実感しながらも、およそ半年ぶりのキャンパスを楽しんでいたようだ。やはり、キャンパスで、教室で、授業をするのはいい。だが、少し気がかりなのは、学生たちがお互いに求めている「距離」は、「社会距離」ばかりではないという点だ。とりわけ、いま「特別研究プロジェクト」に参加しているのは、同じ「研究会」のメンバーどうし。つい「2メートル」のことを忘れて、近づいてしまう。
キャンパスでのコミュニケーションは、「相手の表情が読み取れる」ような、親しさ、近さによって成り立っていることが多い。そのくらいにまで近づくことを求めがちだ。机を並べて座っているのに、手が届かない。顔が見えているのに、近づけない。ぼくたちは、そんな、もどかしい距離を受け容れながら、キャンパスに戻ることになりそうだ。

(つづく)

イラスト:https://chojugiga.com/