夜の散歩

2020年5月3日(日)

4月は、落ち着かなかった。本来であれば、一気にキャンパスが華やぐ時期だ。緊急事態宣言が出される前日に、(ひとまず)連休明けまでキャンパスへの立入禁止が決まったので(※そして、さらに延長)、4月6日に研究室を片づけに行って、それ以来、キャンパスには足をはこんでいない。「在宅勤務」は、もうすぐ1か月になる。

タイミングが悪かった。昨秋からあたらしい役目を担うことになって、それに合わせて家での過ごし方を少しずつ変えようとしていたところだった。たとえば、いままでよりも、なるべく長い時間をキャンパスで過ごすように心がけていた。もちろん「いるだけ」では役に立たないが、それでも、大学にいれば、電話よりもメールよりも早く済むことがたくさんあった。
極端に言えば、家に帰ったら遅めの夕食を食べて、あとは寝るだけというような生活を、この2年間は続けるつもりでいた。だからじぶんの部屋を片づけて、どちらかというと、家ではノンビリできるように家財道具も整理した。そんな生活に移行しつつあったところに、この新型コロナウイルスの騒ぎがやってきて、「おうちにいよう」ということになった。ぼくは、「職場で過ごそう」と思っていたので、滑稽なほどに、逆行していたのだ。だから、ふたたび、家の「書斎」を充実させるべく、片づけをしたりモノを調達したりしている。

授業開始は4月30日からだが、毎週火曜日の研究会(ゼミ)は、当初の予定どおり7日からスタートした。オンラインでのやり方を、いろいろ試している。今年の春から加わったメンバーには、当惑があるはずだ。
相変わらず、いろいろな調整や意思決定にかかわるやりとりは多い。少し気を抜いていると話がいくつもに分岐し、昼夜を問わず容赦なく送られてくるのでややこしくなる。なんだか、曜日の感覚も薄らいできた。
オンラインの会議は、とくに議事進行を担うときはくたびれる。同じ会議室にいれば、顔色をうかがったり、目配せしたりしながら、(多少なりとも)話の流れをかたどることができるが、画面ごしだとなかなか難しい。ある午後、大学院の大事な会議の打ち合わせをしている最中に、遠隔のシステムがダウンした。ちょうど、他大学でもオンラインの授業がはじまったタイミングだ。不具合で、数1000人の学生が受講できなかったというニュースも耳にした。バックアップのことを、あまり考えていなかったことにも気づく。会議はなんとか無事に終えることができたが、ぐったりとなった。
もちろん、疲れた身体で家まで運転して帰るわけでもなく、瞬時にキッチンに移動できる。午後7時のニュースを観ながら、晩ごはんを食べる。そんな、どこにでもありそうなこと(あってもよさそうだったこと)自体が、新鮮に感じられる。いつもなら、まだ50キロほど離れた職場にいるのだ。夜が、格段に長くなった。睡眠時間は増えたように思うが、ずっと画面を注視している疲れもあってか、とりわけ調子がいいわけでもない。
夜には、散歩をするようになった。人気のないまちを歩くのは、それなりに楽しい。デリバリーの自転車が行き交う。まちは、とても静かだ。ふだんなら賑わっているはずの界隈は寂しくて、少し怖い感じさえする。

オンラインでできることは、たくさんある。あらためて、それを実感しながら過ごしているが、キャンパスで誰かとすれ違ったり立ち話をしたりすることがなくなってしまった。一つひとつのコミュニケーションが、すべて「スケジュール」に巻きとられて、「余白」がそぎ落とされてゆく。「ムダな時間」は省かれたのかもしれないが、通りすがりが懐かしい。気まぐれに同僚たちに連絡をして、10〜15分程度のおしゃべりをするようになった。ふだんなら面倒がって、そんなことはしないはずだが、〈声〉を聞くだけでほっとする。

ひさしぶりの道は、鮮やかなツツジで彩られていた。そういえば、この時期、フィールドワークの課題を出すと、学生たちからツツジの写真が送られてくるのだった。いつの間にか、長袖から半袖に。季節は確実に動いている。

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写真は4月29日。夜の散歩。