聞いてない

2019年11月1日(金)

あっという間に一か月。まだ慣れないことがたくさんあるが、こんな調子で毎日が過ぎていくのだろうか。会議の時間や数は、ここ数年とさほど変わらないものの、なんだか疲れ方がちがう。「おかしら日記」は、順調にバトンが渡っている。もうしばらくすると、またぼくの順番がやってくる。これ、意外に大変かもしれない(と、言い出しっぺながら思う)。
あたらしく部屋を使えるようになったので、「環境整備」に取り組んだ。まず、応接セットを片づけてもらった。大きなテーブルとイスを買いに行き、週末に、ごそごそと運び込んで組み立てた。壁にいろいろな資料を貼れるように、ちょっとくふうした。ありがたいことに、お願いすればお茶を淹れてもらうこともできるのだが、そのくらいはじぶんでやったほうが気楽なので、ポットやカップなど簡単なお茶の道具を持ち込んだ。これだけで、雰囲気も居心地も変わる。

引き継ぎは大切だ。年回りもあってか、これまで、いろいろな校務にかかわってきたし、べつにボーっと生きてきたつもりもないが、わからないことがいくつもある。厳密に言うと、現状やここ数年のことは理解していても、そもそもどういう経緯でこうなったのか、誰がどうやって決めたのかがわからない。忘れてしまったことも多い。知らないこと、聞かされていなかったことも、確実にある。
来年が学部の創設30周年ということもあるので、まずは年表をつくってみることにした。なかなか地味な作業だが、年号と出来事を書き込んでいくので、その手続きはそれなりに勉強になるし、けっこう楽しい。だが、そもそも年表の元になるべき資料・史料が散在している。記録にたどり着くのが、驚くほどに面倒だ。周年を機に出版された書籍、議事録の類い、あるいはウェブの検索を手がかりに、ひとまず歴代の学部長・研究科委員長の在任期間と、カリキュラム改訂のタイミングを書き入れた。これで、いつ・誰が、何を決めてきたのかが大まかにわかる。過去を参照してばかりいるのは、文字どおり「後ろ向き」なのかもしれないが、歴史の勉強はきっと役に立つ。

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「聞いていない」ことが、たくさんある。前任者たちの「おきみやげ」に、大いに戸惑うこともある。かつての(いくつかの)決定が、じわじわと、いまに表れているのだろう。このさい、思い切って捨てたり断ったりすべきこともある。だが、たんに「聞いていない」では済まされない。引き継ぐことは、「白紙」からはじまることではないからだ。すでに描かれた線や画を眺めながら、一部を消したり、あらたに書き入れたりする役目なのだ。あらためて、そう思った。つまりそれは、つぎにバトンを渡すための、引き継ぐための仕事がはじまったことを意味するのかもしれない。

同僚を招いて、大きなテーブルに資料をひろげて、あれこれ語ってみたい。そして、ぼくだけではわからないことを、年表に書き入れていこう。それは、引き継ぎのための準備なのだ。そうなると、「在室」時間を増やすことが課題になる。学生と過ごす時間は、これ以上、失いたくない。潔く〈何か〉をあきらめなければならないのだろうか。その〈何か〉を考えていたら、11月になった。

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写真は10月31日。大学院のAP「モバイル・メソッド」のようす。冊子のページ割りについて話した。