カモン!

2021年10月1日(金)

いや、さすがに「ノーカウント」ということにはならないだろう(そう願いたい)。得失点に数えず、記録にも残らないなんて、そんなはずはない。

2年前の七夕祭で、夜空に浮かぶ花火をインスタグラムにアップして、「確実に、時代の節目が来ているのだ。乾いた音とともに、湿った空が閃く。変化を告げる、狼煙が上がった。」などと調子に乗っていた。それから、あっという間に時間が過ぎた。あの合図は、いったい何をもたらしたのだろう。

「やってみなければ、わからない」ことは、たくさんある。気づけば「ベテラン」になっていて、いくつもの委員会で仕事をして、場数(ばかず)だけは増えた。だから、大した裏づけもないまま「なんとかなる」と思いがちだ。これは、もう危険な兆候だということに、ある程度は気づいていた。そして「3役」の一人として仕事をするのは初めてで、おまけにCOVID-19が立ちはだかった(他にも台風とかサイバー攻撃とか、いろいろあった)。日ごろの危機意識の低さを痛感しながら、窮屈な毎日を過ごした。「ステイホーム」が続いたおかげで2キロほど軽くなって、部屋はずいぶん片づいた。いや、だけど、こんな感じで任期が終わってしまっていいのだろうか。

日ごろから、過度な成果主義には疑問を唱えている。最近読んだ『測りすぎ(The Tyranny of Metrics)』という本が面白くて、とにかくなんでも測ろうとすると、おそろしくつまらなくなるだろうと危惧している。「監査文化」に埋没すると、アカデミアの未来は絶望的だ。そう思いながらも、「おかしら」の一人として仕事をした歳月をふり返ると、結局のところ、何も成果を出せなかったのではないかと自虐的になる。なぜか、成果を気にしているじぶんがいる。「ノーカウント」などということばが想い浮かんで、苦笑する。
「おかしら」と呼ばれるくらいだから、もちろん責任は負っている。だが、雇われ店長というか、店番のような存在なのだ。じぶんの店については、多少なりとも裁量はあるが、本店の意向は強力だ。上からも下からも(そして思わぬところからも)圧力を受ける、板挟みの役目だ。さらに、さまざまなことを「3役」で決めるという仕組みも、ときにはツラい。「3役」の一人として、あとの二人に挟まれる。緩衝材のように、自発的に挟まれに行くことさえある。店番をするにあたって、マニュアルが整っているわけでもない。散らかっていたら、整理整頓からはじめなければならない。

いまのような状況下で、人びとは強力なリーダーを求め、強いことばを欲する。強いことばは人びとを束ねて一体感をもたらすが、ともすれば、必要以上にリーダーに依存するようになり、自らが考えることを放棄してしまうのかもしれない。強いことばによって曖昧さや揺らぎを許容できなくなり、分断を生むこともある。そんななかで、ぼくは、〈多声〉を尊ぶことば、慈愛に満ちたことばを発することができるようになりたい。花火は一瞬で散ってしまったが、ぼくの想いはまだ消えない。だから、カモン板挟み!の心意気でゆくのである。 

10月1日になった。そうだ、ようやく緊急事態宣言が明けたのだ。4年生は、内定式。そして、秋学期のはじまり。キャンパスが、ぼくたちを待っている。

2年間の任期中、大変お世話になり、ありがとうございました。2021年10月1日より、引き続き大学院政策・メディア研究科委員長を務めることになりました。みなさん、どうぞよろしくお願いします。🙇🏻

f:id:who-me:20210930143238j:plain写真は9月30日(木):台風が近づいている。