28か月

[42] 2022年7月20日(水)

(6月20日〜7月19日)暑い日が続いている。対面での活動が増えてきて、身体をなじませつつ、それなりに楽しんでいる。ひさしぶりに友人、知人と会ったり、出張に出かけたり。3年ぶりに、キャンパスで花火を見ることもできた。7月に入ってからは、ふたたび陽性者数が急増。春学期の授業は、無事にすべて終了した。あとは成果のまとめ・発表会や採点などが残されている。

6月20日(月)
  • ただいまを言いたくて」(06: 語る)を発行
  • 打ち合わせ(60分, オンライン)
  • 授業:多言語多文化共生社会(大学院AP)(180分, 対面)
6月21日(火)
  • 会議(60分, オンライン)
  • 研究会(180分, 対面)
6月22日(水)
  • 会議(60分, オンライン)
  • 会議(90分, オンライン)
  • 会議(105分, 議事進行, オンライン)
  • 会議(90分, オンライン)
  • 会議(120分, オンライン)
  • 打ち合わせ(60分, オンライン)
6月23日(木)
  • 会議(60分, オンライン)
  • 授業:フィールドワーク法(90分, 対面)
  • 大学院生とのミーティング(180分, ハイブリッド)
6月24日(金)
  • 会議(90分, オンライン)
  • 会議(60分, オンライン)
  • 会議(60分, オンライン)
  • 打ち合わせ(40分, オンライン)
6月26日(日)


じつは大阪シティキャンパスに行くのは初めて。

  • 学部・大学院説明会(大阪シティキャンパス)(対面)
6月27日(月)
6月28日(火)
  • 研究会(180分, 対面)
  • 学生との面談(60分, 対面)
6月29日(水)
  • 大学院セミナー(60分, オンライン)
  • 大学院セミナー(60分, オンライン)
  • 会議(120分, オンライン)
  • 会議(60分, オンライン)
  • 27か月」(コロナと大学)を公開
6月30日(木)
  • 授業:フィールドワーク法(180分, 対面)
  • 授業:モバイル・メソッド(大学院AP)(180分, オンライン) 
  • 打ち合わせ(60分, 対面)

7月1日(金
  • 打ち合わせ(60分, オンライン)
  • 会議(90分, オンライン)
7月2日(土

SFCは七夕祭




 

  • 授業:経験の学(大学院AP)(180分, オンライン)
  •  七夕祭
    • ラジオ企画出演(30分, オンライン)
7月4日(月
  • Hヴィレッジ打ち合わせ(120分, 対面)
  • 授業:多言語多文化共生社会(大学院AP)(180分, 対面)
7月5日(火)
  • 研究会(180分, 対面)
  • 学生との懇談(60分, 対面)
  • 3年ぶり」(おかしら日記)を公開
7月6日(水)
  • 会議(120分, 議事進行, オンライン)
  • 会議(120分, オンライン)
  • フィールドワーク法相談会(オンライン)
7月7日(木)
7月8日(金)
  • 大学院生とのミーティング(120分, 対面)
  • 打ち合わせ(150分, 対面)
7月9日(土)
  • 業務
    • 会議(30分, ハイブリッド)
    • 会議(30分, ハイブリッド)
    • 会議(30分, ハイブリッド)
7月10日(日)
  • 会議(90分, オンライン)
7月11日(月)
  • 会議(60分, 対面)
7月12日(火)
7月13日(水
  • 会議(60分, オンライン)
  • 会議(120分, オンライン)
  • 会議(60分, オンライン)
  • シン・アゴラ(60分, オンライン)
  • 会議(60分, オンライン)
  • 会議(60分, オンライン)
  • 研究会シラバス(2022年秋学期)」を公開
7月14日(木)


3年ぶりの成果報告会(βドーム)

  • 授業:フィールドワーク法(90分, 対面)
  • 学生との面談(60分, 対面)
  • 授業:モバイル・メソッド(大学院AP)(180分, オンライン)
7月15日(金
  • 学生との面談(60分, オンライン)
  • 学生との面談(60分, オンライン)
  • 会議(120分, オンライン)
  • 未来構想キャンプ 選考結果を発表
7月16日(土)
7月18日(月・祝)
  • 海の日」(マンスリー)を公開
7月19日(火)
  • 修士公聴会(180分, オンライン)
  • 学生との面談(ランチ)(60分, 対面)
  • 大学院生とのミーティング(90分, オンライン)
  • Hヴィレッジ打ち合わせ(120分, オンライン)
  • 学生との面談(60分, 対面)
  • 7月19日の東京都の陽性者数にかんする報告件数:11,018

(いまここ)

  • ひと月」(2020年3月4日〜4月15日)
  • ふた月」(4月16日〜5月15日)
  • 3か月」(5月16日〜6月19日)
  • 4か月」(6月20日〜7月18日)
  • 5か月」(7月19日〜8月18日)
  • 半年」(8月19日〜9月18日)
  • 7か月」(9月19日〜10月18日)
  • 8か月」(10月19日〜11月18日)
  • 9か月」(11月19日〜12月18日)
  • 10か月」(12月19日〜2021年1月18日)
  • 11か月」(1月19日〜2月18日)
  • 12か月」(2月19日〜3月18日)
  • 2年目へ」(3月19日〜4月18日)
  • 14か月」(4月19日〜5月18日)
  • 15か月」(5月19日〜6月18日)
  • 16か月」(6月19日〜7月18日)
  • 17か月」(7月19日〜8月18日)
  • 18か月」(8月19日〜9月18日)
  • 19か月」(9月19日〜10月18日)
  • 20か月」(10月19日〜11月19日)
  • 21か月」(11月20日〜12月19日)
  • 22か月」(12月20日〜2022年1月19日)
  • 23か月」(1月20日〜2月19日)
  • 2年」(2月20日〜3月19日)
  • 25か月」(3月20日〜4月19日)
  • 26か月」(4月20日〜5月19日)
  • 27か月」(5月20日〜6月19日)

(つづく)

イラスト:https://chojugiga.com/

海の日

2022年7月18日(月・祝)

先月は、書けなかった。これまで「マンスリー」として、1か月の動静をまとめることにしていたが、いろいろなことが起きて、ドタバタしているうちに7月もすでに半分が過ぎ、ようやくの「マンスリー」である。(つまり、2022年6月の「マンスリー」は欠号に。)

6月1日の「偲ぶ会」が終わるまで、心が落ち着かなかった。ゴールデンウィークのころに同僚の訃報が届き、じぶんはもとより、学生も同僚も、とにかくキャンパス全体が暗い雰囲気になっているように感じられた。じぶんよりも歳の若い同僚だということもあって、余計に苦しかった。その知らせが届く一週間ほど前にはZoomでミーティングをしていたので、そのときの声色が、いまだに頭に残っているような気がする。
「偲ぶ会」の司会をすることになって、じつは緊張していた。もちろん、教壇に立つ仕事をしているのだし、なんとかなるとは思いながら、「偲ぶ会」のような場面できちんと役目を果たせるかどうかわからずにいた。でも、ご指名をいただいて、断る理由はもちろんなかった。ぼくよりも、はるかに近しいところで公私ともにつき合いのあった同僚たちのようすも心配だった。壇上でしゃべっている間に感情が押し寄せて、くずおれるようなことがあったら、臨機応変に対応できるのだろうか。そんなことを考えていた。
会場となった教室には、たくさんの人が集まった。学生も、同僚も、前任校時代の卒業生たちも。「偲ぶ会」は滞りなくすすみ、ほぼ予定どおりに閉会となった。無事に終えることができてほっとすると同時に、どっと疲れが出た。この「偲ぶ会」を経て、少し前向きになることができた。

5月の後半には、学生たちと一緒に訪れたまちからも、知人の訃報が届いた。数年前にたびたび行く機会があり、フィールドワークの段取りから寝食にいたるまで、丸ごとお世話になった。アルバムのフォルダをあさって、当時の写真を眺めた。大雪の日があって、いま考えれば連泊しほうがよかったほどだったのだが、夜になってから東京に向けてクルマを走らせた。チェーンをつけて視界の悪い中をひたすら走り、雪道を抜けてほどなく、まるでそのタイミングを待っていたかのようにチェーンが切れてしまった。そんな思い出は、場所と人と強く結びついている。秋になったら、ひさしぶりに訪ねてみたいと思っている。

前回の「マンスリー」で書いたように、じぶん自身も「節目」を迎えたばかりで、いろいろなことが頭を巡っている。COVID-19の影響下にあって、働きかたについて考える機会が増えたことはまちがいない。体調はもちろん、心も穏やかな状態で毎日を過ごさなくてはと思う。仕組みや慣例そのものを見直さなければならない立場にいながら、何もできていない。ストレスが充満しているのを感じながら、無力感に苛まれる。
対面でのコミュニケーションの場面が増えてきて、つい(COVID-19以前の)「あたりまえ」に戻ると思いがちだ。これまで我慢していた時間を取り戻そうという気持ちの表れでもある。だが、もはや何が「あたりまえ」だったのかさえ、わからなくなっている。じぶんが意識している以上に、じぶんの発することばが人に影響をあたえうることも思い知った。もちろん、校務は相変わらず忙しい。未来を構想する夢にあふれる仕事よりも、目の前で起きるいろいろなことへの対応が絶えない。その都度、事情を聞いて、どのように向き合えばいいのかを考える。じぶんの役目だとはいえ、いろいろな人の事情を聞けば聞くほど、驚いたり心を痛めたりする。

妻と小椋佳のステージを観に行った。熱烈なファンというわけでもないが、長きにわたってたくさんの楽曲を耳にしてきた。銀行マンでありながら、シンガーソングライターとしてデビューした。いまでこそ、「二足のわらじ」は珍しくなくなったが、当時は、それこそ働きかたとしてはとてもユニークなものに見えた(「シンガーソングライター」ということばも、その頃に生まれたのだろうか)。デビュー50周年だという。ぼくよりも一回り以上も上なのだが、とにかく50年間、地道に歌をつくり、歌ってきたことは素晴らしい。しみじみと、詩に聴き入った。
ホールは、シニア層でほぼ満席だった。そのことも、微笑ましかった。いろいろある(あった)けど、その一つひとつがあるから毎日があたらしい。一人ひとりの人生経験が、このホールで束ねられていると思うと、なんだか不思議な感じがした。

ひさしぶりの出張もあった。両学部長とともに、大阪シティキャンパスに行き、学部・大学院の説明会を開いた。午前の部を終えて、駅に接続した大型施設をぶらつく。日曜のお昼どき、たくさんの人で賑わっていた。それなりに忙しいおかげで、あっという間に一週間が過ぎる。気づけば、梅雨明けしていた。七夕祭の3年ぶりの花火。同僚たちと一緒に夜空を見上げた。

そして、これを書いているいまも、心は穏やかではない。世界情勢もCOVID-19のことも直近の事件も、とにかくいろいろなことが起きていて、落ち着かない。こんなときは、まずはじぶんの落ち着きを取り戻すのがいい。かつてイギリス政府は、「Keep Calm and Carry On」という宣伝ポスターをつくった。さほど流通しなかったようだが、メッセージは明快だ。まずは、穏やかに「ふつう」を続ける、ということだ。その上で、やるべき仕事に向き合おう。
もう6、7年前になるが、これをもじって「Keep Calm and Curry On」というTシャツをつくった。暑い日が続いているので、こんなときこそカレーをつくろうか。春学期の授業はすべて終わった。いい夏にしたい。

写真は6月26日:ひさしぶりの出張。

3年ぶり

2022年7月5日(火)

SOURCE: 3年ぶり|政策・メディア研究科委員長 加藤 文俊 | 慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス(SFC)

7月になった。あっという間に梅雨が終わり、猛暑の日が続いている。春学期は残すところ数週間、無事にここまできた。多くのことが、「3年ぶり」というフレーズとともに語られている。教室で対面の授業をすることさえ、あたらしい体験のように感じられるから不思議だ。
授業の開始時刻に合わせて研究室を出て、わずかな時間だが教室に向かってキャンパスを歩く。教室には学生が何名かいて、少しずつ席が埋まってゆく。そんなあたりまえだった光景も「3年ぶり」だ。学生たちの顔が、パッチワークのように画面に並んでいるのとはちがう。気温が上がって、マスクをしたまましゃべるのは苦しくなってきたが、やはり間近に体温を感じられるのはいい。

1か月ほど前、ネットのニュースで大学生たちの近況について書かれた記事を目にした。ずっと「ステイホーム」を強いられながら過ごしていたことで、学生たちは(もちろん教職員もだが)、すっかりオンラインに慣れてしまった。そのせいか、この春になって、対面での活動が増えてきたことへの戸惑いがあるという。同記事によると、対面授業への恐怖を感じる場合さえあるという。直接、人と顔を合わせる場面が少なかったために、人間関係にさほど気を使わなくなってしまったのだろうか。緊張で眠れないという訴えもあるらしい。
移動が制限され、「不要不急」の活動を控えるように言われ続けてきたので、人とのかかわりについても「不要不急」かどうかの判断がはたらく。学生たちは、わざわざ対面で会う「価値」があるかどうかを気にするようになったというわけだ。しばらく機会が奪われていたことへの反動で、いわゆる「コストパフォーマンス(コスパ)」を気にする傾向が強いという指摘もある。事情はわかるものの、ぼくたちがコミュニケーションへの欲求をいだくのは、「会ってみなければわからない」からだと思う。会う前に「価値」のあるなしを決めてしまうことなど、できるのだろうか。

最近「タイパ」ということばを知った。時間あたりの「価値」を判断する「タイムパフォーマンス」を指す。数年前から、映画を早送りで観たり、(全編を観る手間をはぶく)ダイジェスト版の映画(ファスト映画)を求めたりするふるまいが話題になっていた。COVID-19の影響下にあって、学生たちがオンディマンドの授業を(たとえば1.5倍速で)早送りで視聴しているというのも、どうやらそれほどめずらしいことでもないらしい。
最初は驚いたが、「タイパ」という意味では確実に時間の節約になる。自分もインタビューデータの文字起こしをするときなど、録音を早送りで聞くことがあるのだから、理屈はわからなくもない。90分の授業を60分で消費するのに慣れてしまったとすると、教室だと、もはやぼくたちの講義はゆっくりと感じられるはずだ。

同僚から、体育の授業(実技)で、学生たちのケガが増えているという話も聞いた。イスに座ってじっとしている時間が長かったために、身体の動かし方を忘れてしまったのだろうか。頭ではわかっていても、身体が言うことをきかない。ついムリな動きをしてしまう。自分だけならまだしも、誰かと競争したり協調したりする種目になると、相手の動きを読み取ることが難しいのだ。相手の身体から発せられるメッセージを読み取り、察し合いながら動くことが求められるとき、上手い関係が成り立たないと、加減ができずにケガにつながるのだろう。

ばらばらのようで、多くのことがつながっている。この2年間で何かが失われてしまったという焦燥感も手伝って、ぼくたちは、いままで以上に「コスパ」や「タイパ」を求めてはいないだろうか。画面越しにたくさんのやりとりをしてきたが、文字にすると、おのずとことば足らずになって、テキストは文脈から切り離されて流れてゆく。対面であれば、オンラインとはちがった感情表現もできる。クリックひとつで相手の姿が消えるわけでもない。「間(ま)」も「余白」もたくさんある。顔を見ながら、自分のことばを訂正したり言い換えたりすることもできる。

「3年ぶり」のことがたくさんあって、その一つひとつが懐かしくて新鮮だ。でも、急いてはならない。かくいう自分も、意識していた以上に威圧的で、一方的なメッセージを発していたことを思い知った。もちろん、これをCOVID-19のせいにすることはできない。ぼく自身の学び方、教え方、キャンパスの使い方、その礎となるコミュニケーションのありようについて、惰性や弛み、思い込みによって、大切にすべきだと思っていたことが見えなくなっていた。
COVID-19は、それをわかりやすく際立たせたにすぎない。だからこそ、細心の注意をはらいながら、少しずつ「3年ぶり」の身体を整えるのがいい。沈黙を味わい、ちいさな〈声〉を聴き、相手を察する(そして察しを察する)ことのできる身体を取り戻そう。

7月2日は、3年ぶりに対面で七夕祭が開催された。やはり、キャンパスを彩るのは学生なのだ。2年前のこの時期には『花火』というタイトルで「おかしら日記」を書いた。アバターになって、バーチャルキャンパスで花火を眺めたことを思い出した。
今年は、本館の屋上から。同僚たちと一緒だった。ことばを交わさなくても、すぐそばでみんなが同じ夜空のきらめきを見上げている。「コスパ」も「タイパ」も、花火の音とともに散ってゆくように思えた。