2年

[38] 2022年3月20日(日)

(2月20日〜3月19日)年度末に向けて、忙しくなってきた。世界情勢は気がかりだし、数日前には大きな地震もあった。ちょっと、落ち着かない。延期することになった「フィールドワーク展」は、無事に開催することができた。2年ぶりのリアルな会場での展覧会は、やはりよかった。ちょっと勘が鈍っている気もしたが、身体を動かしているうちに調子が戻ってきたような感じだ。ささやかながら、卒業生との集いも実現した。この月ごとの‘動静’の記録をはじめて、2年。

2月20日(日)
2月21日(月)
  • 大学院生とのミーティング(60分, オンライン)
  • 研究科委員会事前打ち合わせ(90分, オンライン)
2月22日(火)
  • テラス倶楽部(60分, オンライン)
  • 会議(60分, 対面)
2月23日(水)
  • 濱田庸子先生最終講義(90分くらい, 対面/ハイブリッド)
  • ミーティング(60分, 対面)
2月24日(木)
  • 会議(120分, オンライン)
  • レディオ湘南(FM 83.1)藤沢市広報番組「ハミングふじさわ」収録(60分くらい, 対面)
  • 打ち合わせ(30分, 対面)
2月25日(金)

3回目のワクチン接種。大学のほうでも職域接種の準備がすすんでいるようだが、自治体のほうが先に連絡が来て、予約できた。念のため(週末を空けて)金曜日に予約。(けっきょく、腕が少し重いくらいで、副反応はなかった。)

2月27日(日)
  • 23か月」を公開(だいぶ遅れてしまった)
2月28日(月)
  • 会議(120分, オンライン, 議事進行)
  • 会議(90分, オンライン)
  • 会議(90分, オンライン)
  • 会議(120分, オンライン)
  • 会議(30分, オンライン)
  • 定年退職者送別懇談会(120分, オンライン)

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3月1日(火)
  • 会議(60分, オンライン)
  • 大学院生とのミーティング(60分, オンライン)
  • 研究ミーティング(60分, オンライン)
  • 会議(60分, オンライン)
  • ニュース」(おかしら日記)を公開 
3月2日(水)
  • 会議(60分, オンライン)
  • 会議(60分, オンライン)
  • 会議(60分, オンライン)
  • 打ち合わせ(30分, オンライン)
  • 会議(60分, オンライン)
  • 会議(60分, オンライン)
3月3日(木)
  • 学生との面談(30分, オンライン)
  • 学生との面談(30分, オンライン)
  • 学生との面談(30分, オンライン)
3月4日(金)
3月5日(土)
  • 原田泰先生最終講義(採集講義)(120分, オンライン)

原田さんの講義を聞いて、あれこれ考えた。たくさんの人が集まっていて、一連のプロジェクトを一緒にふり返るようなセッション。ぼくが接点をもったのは、かなり最後のほうだということを、あらためて実感した。午後は、石川研の「さしあたって展」へ。オシャレな(ちょっと無機質な)ギャラリーだった。

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3月6日(日)
  • 打ち合わせ(60分, オンライン)
3月7日(月)
  • ミーティング(60分, オンライン)
  • 学生との面談(30分, オンライン)
  • 学生との面談(30分, オンライン)
  • 学生との面談(30分, オンライン)
  • 学生との面談(30分, オンライン)
3月8日(火)
  • ミーティング(200分くらい, 対面)
  • 会議(40分, 対面)
3月9日(水)

きょうから展覧会の設営。朝のうちに横浜(みなとみらい)に移動した。というサービスを予約しておいたので、ちいさな部屋(ボックス)でオンライン会議。これは、かなり圧迫感があった。換気もどうなんだろう…と思う。

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  • 会議(60分, オンライン)
3月10日(木)

設営2日目。午前中のオンライン会議を終えて、移動(ランチはクルマのなか)、午後にひとつ会議に出てから設営の続き。なんとか無事に形になった。

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  • 会議(60分, オンライン)
  • 会議(120分, オンライン)
  • 会議(60分, オンライン)
3月11日(金)〜13日(日)

フィールドワーク展XVIII:ぐるりと」 無事にオープン。2年ぶりに対面での展覧会になった。あまり派手にPRすることはできなかったものの、3日間で250人くらいの来場があった。

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3月14日(月
3月15日(火)
  • 会議(90分, オンライン)
  • 会議(60分, オンライン)
3月16日(水)
  • 打ち合わせ(30分, 対面)
  • 会議(60分, 対面)
  • 会議(120分, オンライン)
  • 会議(120分, オンライン)
  • 自動運転バス試乗(60分くらい, 対面)
  • 2週間遅れ」(マンスリー)を公開
3月17日(木)

そして、「研究会」のメンバーと最後のミーティング。全員が揃うことはできなかったが、SBCのβドームに集まった。対面での活動が制約されていたものの、1〜3年生は展覧会の最中に写真を撮り、ポスターをつくってプレゼント。これは、よい企画だった。

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  • 研究会ミーティング(180分くらい, 対面)
  • カレーキャラバンが、きょうで10年(ここ2年ほどは休んでいるけど)。

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3月18日(金)
  • 会議(120分, オンライン)
  • 会議(30分, オンライン)
  • 会議(90分, オンライン)
  • 学生との面談(60分, オンライン)
3月19日(土)

午後から共創学会研究会の「生きるリアリティに向き合う学」というセッションに登壇(オンライン)。「気づき・発見は、少し遅れてやってくる」というタイトルで話題提供。面白かった。

  • 第14回 共創学研究会(210分くらい, オンライン)
  • 3月19日の東京都の陽性者数にかんする報告件数:7,444

(いまここ)

  • ひと月」(2020年3月4日〜4月15日)
  • ふた月」(4月16日〜5月15日)
  • 3か月」(5月16日〜6月19日)
  • 4か月」(6月20日〜7月18日)
  • 5か月」(7月19日〜8月18日)
  • 半年」(8月19日〜9月18日)
  • 7か月」(9月19日〜10月18日)
  • 8か月」(10月19日〜11月18日)
  • 9か月」(11月19日〜12月18日)
  • 10か月」(12月19日〜2021年1月18日)
  • 11か月」(1月19日〜2月18日)
  • 12か月」(2月19日〜3月18日)
  • 2年目へ」(3月19日〜4月18日)
  • 14か月」(4月19日〜5月18日)
  • 15か月」(5月19日〜6月18日)
  • 16か月」(6月19日〜7月18日)
  • 17か月」(7月19日〜8月18日)
  • 18か月」(8月19日〜9月18日)
  • 19か月」(9月19日〜10月18日)
  • 20か月」(10月19日〜11月19日)
  • 21か月」(11月20日〜12月19日)
  • 22か月」(12月20日〜2022年1月19日)
  • 23か月」(1月20日〜2月19日)

(つづく)

イラスト:https://chojugiga.com/

2週間遅れ

2022年3月16日(水)

他の月とくらべて、わずか数日のちがいのはずなのに、2月はあっという間に過ぎ去った。毎年この時期に開いている成果報告の展覧会は、3月に延期したので、ちょっと間延びするのではないかと心配だった。でも、そんなことを実感する余裕もなく、ドタバタしているあいだに3月の半ばになってしまった。2週間遅れの月報(マンスリー)。
もともと、2月4日から3日間の予定で展覧会の準備をしていたが、2日には東京都の陽性者数は20000人を越えてしまった。その意味では、延期してよかったと思ういっぽうで、この先も、どうなるのか先が読めないのがもどかしい。もともと学期末から年度末へと向かう時分なので、忙しく目の前の仕事をこなしていた。冬季オリンピックは、カーリングを観戦しつつ、その話を「おかしら日記」に書こうと思っていたが、世界情勢が急変して、気持ちがざわついたままの毎日である。

この時期は、さまざまな「節目」がある。成績評価をしたり、最終報告会があったり。ここ数年続けている「合同卒プロ発表会」(諏訪研・石川研・清水(唯)研と合同)は、今年もオンライン開催になった。それでも、他の研究会の学生たちが取り組んだ「卒業プロジェクト」について話を聞くのは楽しい(むしろ、オンラインのほうが集中して聴くこととができるのかもしれない)。毎年、発表後の「質疑応答」の時間を比較的長めに取ってプログラムづくりをしているので、流れ作業のようにひたすら発表を聞くというよりも、学生からの応答、教員どうしのやりとりの時間にも余裕がある。この2年ほどは、さまざまなプロジェクトが思うようにすすまなかった。学生たちが発表が、同僚たちの(ぼくの)メンタリングの表れだと考えるならば、この合同発表会では、一人ひとりの教員のふるまいが露わになるということだ。その意味では、じぶんが試されているような心持ちになる。
それぞれのレベルや達成度を簡単に判断することはできないが、シンプルにいえば「みんな、がんばった」ということがわかった。無力感を感じていたのは、ぼくだけではないことも(なんとなく)確認できた。来年は、ぜひ教室で集まりたい。

大学院も、もちろん「節目」である。修士の学生については公聴会、論文審査が終わり、その合否結果を承認する会議が開かれた。博士課程については、今年度内に学位取得を目指す学生たちが、(いわば「駆け込み」で)公聴会や最終試験に臨むタイミングである。「最終講義」も開かれた。SFCの同僚にかぎらず、他大学に勤める(同い年の)友人も、ひと足先に大学を離れるという。

「別れ」だけではない。たとえば学部の入学試験(一般)も、COVID-19の状況をうかがいながらも、無事に終わったようだ。「研究会」のほうも、卒業生が展示の準備をするいっぽうで、来春から加わるメンバーが決まった。
大学のほうでも、3回目のワクチン接種(職域接種)が準備されているとのことだが、自治体からの連絡のほうが早く来た。調べてみたら、すぐに予約できた。1回目、2回目ともに(幸いなことに)副反応はなかったものの、いちおう、万が一のことを考えて、週末に予約して接種を終えた。腕が少し重いくらいで、副反応はなかった。

『三田評論』の座談会の企画でお声がけいただき、司会を務めることになった。出席メンバーは、結局のところSFC関係者ばかりだったが、卒業生もふくめ、この企画がなければ集うことのなかった組み合わせだ。ときどき、「社中」の紐帯を(やや過度に)求められる感じには閉口気味なのだが、たまにはいいだろう。記事のみならず、特集テーマの企画そのものが人を出会わせるのだから、これは人と人との仲立ちをする媒体として、じゅうぶんに役目を果たしているといえるだろう。(これは、4月号に掲載予定。)

レディオ湘南 FM83.1・藤沢市広報番組『ハミングふじさわ』の収録もあった。大学広報の一環で、職場のこと、藤沢市のことなど、パーソナリティーのかたとやりとりしながら収録。一昨年の春以来、オンライン授業というのは、ラジオみたいなものだ、とつねづね感じていた。姿の見えない、聴いているかどうかの手がかりもほとんどない。暗闇に向かって、授業内容をしゃべり続けるような感じは、ラジオに近いのではないかと思っていた。「広報」に役立つ内容をしゃべったかどうかはわからないが、リラックスして話をすることができた。(これは、3月14日・15日の2回に分けて放送された。ネットでも聴くことができるらしい。ぼくは、まだ聴いていない…。)

じゅうぶんに注意は必要なのだが、少しずつ外に出るようにしている。少しずつ暖かくなってきた。わずかながらも、キャンパスの芝生が緑色に変わりはじめているようだ。

f:id:who-me:20220316123013j:plain写真は3月16日:こんなところにこんなテーブルとイスが。

ニュース

2022年3月1日(火)

SOURCE: ニュース|政策・メディア研究科委員長 加藤 文俊 | 慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス(SFC)

なんだか落ち着かなくて、5時半ごろに起きてしまった。3回目を接種したばかりの左腕が重い(それを除けば、副反応はない)。窓の外はぼんやりと明るくなってくる気配だが、月がくっきりと見える。2月はドタバタと過ごしつつも、カーリングから目を離せなくなり、ずっとテレビで観戦していた。じつは、今回の「おかしら日記」も『ナイスぅ〜』というタイトルで書き上げていた。だが、そんな文章を載せる気分ではなくなってしまった。だから、夜明け前にベッドから抜け出して、あたらしく文章を綴っている。

遠い場所で戦争がはじまるというニュースは、じつにもどかしい。戦争にかぎらず、「遠いこと」によるやるせなさのようなものかもしれない。地球規模のネットワーク環境を前提としながら、不断に情報は飛び交う。いっぽうで、結局のところは自分の目の前の日常に向き合い続けていくしかない。気づけば、COVID-19については、夕方に発表される日ごとの感染者数を確認するのが日課になった。つい数日前までは、オリンピックの中継とメダリストたちの「凱旋インタビュー」で彩られていた。それが急変し、メディアはもっと遠い場所のことばかりを伝えるようになった。
ここ数日は、そわそわしていた。テレビをつければ、同僚たちが解説者として出演している。その意味では、自分に近い出来事としてとらえることができるのだが、それでも、やがては「遠いこと」だという現実にぶつかる。すべてが、メディアを介して届けられているのだ。

あのときと似ている。1990年の暮れ、ぼくはアメリカにいて、留学生として2度目の新年を迎えようとしていた。「明るくて前向きなアメリカ」を勝手にイメージして留学したものの、当時のフィラデルフィアは、決して治安がいいとはいえず、エリアによっては本当に怖かった。その後、1990年代は景気回復に向かうのだが、そのちょうど手前。あのころのアメリカは、どんよりとしていたのだと思う。

記憶はあやふやだ。年が明けてまもなく、街の東、デラウェア川の近くを歩いていた光景だけは思い出す。友だちと一緒に食事に出かけたのだろうか。目線の先には、ベンジャミン・フランクリン橋が見えた。少しずつ、戦争に向かってゆく空気は、ぼくにも感じることができた。心から笑うことができないような、重苦しさがあった。そして、1月中旬に「デザートストーム(砂漠の嵐)」作戦が決行された。

「ついに、はじまってしまった」という実感はあったが、アメリカ(本土)の大都市に暮らしながら大学院に通っていると、それはほどなく「遠いこと」になった。授業が忙しくなれば、すぐさま目の前にあるリーディングリストや課題に気持ちを奪われる。大学院生という身分が、いろいろな想いを遮断するのに役立ったのかもしれない。街が大きく変わって見えるわけではなかった。当時は、スマホによって、現場のようすが途切れなく届けられることもなかった。自分が暮らす界隈は「現場」にはなりえず、もっぱらテレビのニュースで見聞きするばかりだ。

1990年代のはじまりは、国々のかたちが変わり、世界の様相が大きなうねりとともに動き出したころだった。ちょうど、大学院ではハーバート・ガンズの『Deciding what’s news』という本を読んでいた。いまや「古典」の扱いになるのかもしれないが、他にもコミュニケーション研究の本や論文をたくさん読んだ(読まされた)。同書は、著者がテレビや雑誌づくりの現場で参与観察をおこない、どのように「ニュース」がかたどられるかを考察したものだ。そもそも、誰が何のために「ニュース」を紡ぐのか。メディアにかかわる人びとの価値観や職業意識、さまざまな(政治的な)力学にも洞察をくわえていた。もちろん、スマホ時代の「ニュース」は、スピード感も流通の仕組みも、ガンズが対象にした半世紀前とは大きくことなる。だが、誰かが何かを目論んで、媒体をえらびながら「ニュース」を送出している点は、いまでもそれほど変わっていないはずだ。

ぼくたちは、無関心ではいられない。メディアで知りうる「遠いこと」について、明晰な判断力を持たなければと思う。目の前の日常に、まっすぐに向き合いながら、遠い地の人びとの安全を願う。やがては、心穏やかに朝を迎える日が来ることを祈るしかない。