16か月

[30] 2021年7月20日(火)

(6月19日〜7月18日)この1か月の間に、第3回目の緊急事態宣言が解除され、(一部の授業が)対面に戻ったと思ったら、ドタバタと第4回目の緊急事態宣言。あっという間に春学期が終わってしまった。松葉杖で過ごして、(画面で)花火を見て、ワクチンを打った。そして梅雨明け。

  • ひと月」(3月4日〜4月15日)
  • ふた月」(4月16日〜5月15日)
  • 3か月」(5月16日〜6月19日)
  • 4か月」(6月20日〜7月18日)
  • 5か月」(7月19日〜8月18日)
  • 半年」(8月19日〜9月18日)
  • 7か月」(9月19日〜10月18日)
  • 8か月」(10月19日〜11月18日)
  • 9か月」(11月19日〜12月18日)
  • 10か月」(12月19日〜2021年1月18日)
  • 11か月」(1月19日〜2月18日)
  • 12か月」(2月19日〜3月18日)
  • 2年目へ」(3月19日〜4月18日)
  • 14か月」(4月19日〜5月18日)
  • 15か月」(5月19日〜6月18日)
6月19日(土)

「人びとの多摩川線」を実施。昨秋に実施した二つのプロジェクト「人びとの池上線」「人びとの世田谷線」に続いて第3回目。学生たちはペア(あるいは3人グループ)で沿線の各駅に散って、人びとのようすを観察・スケッチした。日付が変わるまでに、ほぼすべてのデータが提出された。

  • フィールドワーク(キャンプ)(観察・スケッチの実習)
6月20日(日)

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雨に降られることなく、青空の下で。今回は多摩川緑地(丸子橋地区)で、成果報告会を実施した。

  • 成果報告会(60分, 対面)




人びとの多摩川線(Every Person in Tamagawa Line)

6月21日(月)
  • 緊急事態宣言解除(一部について、対面での授業を再開)
  • 三田キャンパスでの職域接種がスタート
  • 大学院生との面談(60分, オンライン)
6月22日(火)
  • 授業:研究会(180分, 対面)ひさしぶりに教室で開講
  • 会議(60分, オンライン)
6月23日(水)

大学院の会議(議事進行)は、無事に終了(予定よりも早く終わった)。合同教員会議の冒頭で塾長、常任理事(新体制)のあいさつ。

  • 打ち合わせ(60分, オンライン)
  • 会議(105分, オンライン)
  • 会議(90分くらい, オンライン, 議事進行)
  • 会議(120分, オンライン)
  • 会議(120分, オンライン)
  • 15か月」(コロナと大学)を公開
6月24日(木)
  • 授業:フィールドワーク法(90分, 対面)
  • ミーティング(30分, オンライン)
  • モバイルメソッド(大学院AP)(180分, オンライン)
6月25日(金)
  • 大学院生との面談(60分, オンライン)
  • 会議(30分, オンライン)
  • 会議(60分, オンライン)
  • 会議(60分, オンライン)
6月26日(土)

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  • 病院へ。松葉杖生活のはじまり。
6月28日(月)
  • 学生との面談(60分, オンライン)
6月29日(火)
  • 大学院生との面談(60分, オンライン)
  • 授業:研究会(180分, 対面)
  • 大学院生(AP)とのミーティング(60分, オンライン)
6月30日(水)
  • 面談(30分, 対面)
  • 面談(30分, 対面)
  • 会議(60分, オンライン)
  • 臨時合同教員会議(15分, オンライン)
  • 打ち合わせ(60分, 対面)

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7月1日(木)

朝、藤沢市に大雨警報・雷注意報が発令されていたので、オンキャンパスでの開講を断念。オンラインに切り替えた。

  • 授業:フィールドワーク法(90分, オンライン)
  • 授業:修士研究会(120分くらい, オンライン)
7月2日(金)
7月3日(土)

七夕祭。午前中は大雨でグラウンドが水浸しだったので心配だったが、午後には水も引いて、無事に花火が上がった。オンラインで鑑賞。

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7月4日(日)

(130000kmをこえて)車検の手続きへ。

7月5日(月)
  • 打ち合わせ(60分, オンライン)
7月6日(火)
  • 会議(45分, 対面)
  • 授業:研究会(180分, 対面)
7月7日(水)
  • 打ち合わせ(90分, 対面)
  • シン・アゴラ(60分, オンライン)
  • 会議(120分, オンライン)
  • 会議(120分, オンライン)
7月8日(木)
  • 授業:フィールドワーク法(90分, 対面)
  • モバイルメソッド(大学院AP)(180分, オンライン)
  • オリンピックについて東京都内の競技会場は、無観客開催が決定
7月9日(金)
  • 会議(60分, 対面)
  • 面談(60分, 対面)
  • 修士 中間報告リハーサル(90分くらい, オンライン: Gather会場)
7月10日(土)
  • 大学へ(業務で朝9:00〜17:30くらいまで)
  • 会議(60分, オンライン)
  • 行ったり来たり」(マンスリー)を公開
7月12日(月
7月13日(火

午後は三田キャンパスに行って、ワクチン接種(1回目)。全体的にスムーズな流れで進行して、あっという間に終了。体調もとくに変わらず、山食でお昼を食べてから帰宅。

7月14日(水

とくに体調に変化はなく(腕がちょっとダルい感じ)、大学へ。

  • 会議(60分, オンライン)
  • 打ち合わせ(120分くらい, 対面)
  • 研究科委員会の事前打ち合わせ(90分くらい,  オンライン)
  • ミーティング(40分,  オンライン)
7月15日(木)

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大学院の修士課程中間報告は、Gather.townで実施。いろいろ、改善すべき点はあるものの、学生たちとのコミュニケーションは上手くいったように思う。同僚とすれ違ったり立ち話したりという場面もあった。

  • 会議(30分で中座, オンライン)
  • 大学院修士学生 中間報告(150分くらい, オンライン)
6月16日(金)

午前中は病院へ(松葉杖を返却)。関東甲信地方は梅雨明け

  • 会議(60分, オンライン)
6月17日(木)

21日(水)から、BCPの「レベル」指定を変更(その内容について検討)。

  • 会議(60分, オンライン)
7月18日(日)
  • 7月18日の東京都の新規患者にかんする報告件数:1008

(いまここ)

(つづく)

イラスト:https://chojugiga.com/

行ったり来たり

2021年7月10日(土)

6月の初めに、大学での職域接種がはじまることが発表された。予約システムさえまだ動いていないのに、なんだか明るい気持ちになった。くわえて、緊急事態宣言の解除にともなって、一部については対面の授業を再開した。4月にキャンパスで開講していた科目は、途中で2か月ほどオンラインになって、ふたたび教室に集まるということになる。
昨年は、春学期はすべてがオンラインになったので、最初からそのつもりで授業の準備や諸々の段取りをしていたが、学期の半ばでリズムが変わるのはこれまでなかったことで、いろいろと面倒だ。キャンパスに戻りたい想いはたしかなのだが、身体のほうがきちんと追いついていない。慣れというのは恐ろしいもので、朝の過ごし方がこの1年半でだいぶ変わってしまった。つねづね思うことだが、ぼくたちは便利なほうへ、楽なほうへと向かいがちだ。その適応力には、感心さえする。だから、かつては疑いなくこなしていた(はずの)身支度も通勤も、すぐに元どおりに戻せるわけではない。
でも、途中でオンラインに切り替わったまま夏休みになるよりは、最後の数週間、せめて春学期の「最終回」だけでも教室に集うことができればいいと思っていた。もちろん、ムリをするつもりはない(強いるつもりもない)のだが、少しばかり意地になっているのかもしれない。そんな心持ちで大学に向かう。
やはり教室はちがうものだと、あらためて実感した。みんな、マスクをして距離を取りながら座っているのは、馴染みのある光景ではないが、確実に学生たちの息づかいを直接感じることができる。なにより、平たい画面にいくつもの顔が整然と並んでいるのとはちがう。学生たちも、もう一度ひとつの教室に集まることができて、喜んでいるようすだった(むしろ、緩みすぎているのが心配なくらいだ)。そんな感じで過ごしていたら、春学期も残すところ数週間。気づけば7月になっていた。

7月1日は、授業のために大学に行く予定だった。学生たちとは、キャンパスでひさしぶりの再会を果たしたばかりだった。だが、天気が心配である。前日の晩に、藤沢市には大雨・雷の注意報が出ていた。雨が降っているだけでも、この状況下で通学するのは面倒だ。当日の朝、大雨警報が発令された。授業は11:00過ぎからはじまるので、朝8:00過ぎにオンラインで開講することを決めた。あとで聞いたら、何人かの同僚たちは、すでに前日の段階でオンラインへの切り替えを決めていたらしい。ぼくは、キャンパスで開講することに固執していたのだろうか。ギリギリまでようすを見ようとしていたのだと思う。
何人かの学生は、他の授業の都合などもあって、すでにキャンパスに向かっていたようだが、大きな混乱もなく、その日の授業はオンラインでおこなうことができた。こんなふうに、その日の状況に応じて開講形態を変えることができたのは、おそらくCOVID-19の影響を受けながら、授業のあり方や連絡の取り方についてあれこれと学んできたからだ。以前は、荒天の場合には、決められた時刻に休講にするかどうかの判断をしていた。いまは、そもそもキャンパスで開講されている授業が圧倒的に少ないので、数多くの授業にかかわる判断は必要ない。何らかの形で、これからもオンライン開講が常態化していくと考えると、さまざまな判断のタイミングについても再考することになるだろう。
身勝手なことをいえば、たまに天候によってもたらされる(不意の)休講を多少なりともありがたく思うこともあったのだが、もはや、天気が理由で休講にはなりえないということだろうか。うまく調整ができれば、出張先からオンラインで授業をすることもできる。環境の変化を見ながら、臨機応変にオンラインに変更したり、オンラインと対面と併用したり(ハイフレックス)、開講形態の多様化は、引き続き今後の課題だ。

7月3日は七夕祭だった。朝から強い雨。藤沢市には大雨・洪水警報が出ている。今年の七夕祭は、オンラインと会場からの配信を組み合わせるというものだった。去年は、すべてが画面のなかにつくられた仮想のキャンパスでおこなわれた。ぼくは、ロボットのアバターを纏って、人工的につくられた夏空に打ち上げられる花火を眺めた。今年は、リアルな花火が準備されている。もちろん、キャンパスに出かけて、熱気のなかで花火を見ることはできないのだが、今年は、本物の花火が本物の夜空に打ち上がるようすを画面越しに見ることができるという企画だ。
午前中、打ち上げ場所となるグラウンドが水に浸っているという連絡が届いた。冠水したグラウンドの写真が共有されて、。だが、昼前には雨が上がった。朝のようすからは絶望的な感じだったが、水が引いて、けっきょくは予定どおり進行することになった。
花火が上がった。ぼくは、自室の電気を消して、花火のライブ配信を眺めた。花火が煌めいて、そしてあっという間に消えてしまった。同時につないでいたのは、(ぼくをふくめて)130人。もちろん、物足りなさはあるものの、誰かがどこかで、同じ時間に同じ花火を見ていた。そのことが、うれしかった。

そして、4回目の緊急事態宣言の発令(7月12日から8月22日まで)が決まった。行ったり来たりは、もういやだ。

f:id:who-me:20210703194135j:plain写真は7月10日。画面越しに花火を眺めた。

10年後のある1日。

この文章は、大学院アカデミックプロジェクト(AP)「経験の学」 で、大学院生たちと「未来」について語り合うなかから生まれました。学生3名とぼくの4名で、お互いの未来観を参照しながらリレー形式で綴った文章です。ぼくは、鈴木俊介→若月泰生→熊谷啓孝(いずれもM1, 敬称略)の順で綴られた「10年後のある1日」を受けるかたちで、「最終回」を書くことになりました。

[29] 2021年7月2日(金)

結局のところ、ぼくたちの日常生活に何か大きな変化があったのだろうか。「働き方改革」が急速にすすんだという意見もあるが、それを判断するにはまだ早いような気もする。ホログラムは、まだまだ現実感に乏しくて、対面でのやりとりを代替できるはずもない。一部の人は実験的にチップの埋め込みをしているが、10年前から、さまざまな認証や決済はスマホがあれば事足りる状態だったので、肌身離さずスマホを握りしめているのとさほど変わらないのかもしれない。「スマートホーム」的な管理や制御の仕組みは、だいぶ浸透した。これは、「非接触」の状況が求められて急速に受容・普及がすすんだのだ。これを、大きな変化と呼ぶのかどうか。

大騒ぎをしていたCOVID-19は、日常にとけ込んだ。インフルエンザの流行と似たようなもので、毎年、コロナの予防接種を受けるようになった。黒いマスクをしていても違和感をおぼえなくなったし、電車の運行が疎らでもイライラしない。最初は抵抗していても、やがて慣れてしまうことはたくさんある。
ツイッターもFacebookも、役に立つのかどうかわからないまま惰性で使っているあいだに四半世紀近くが過ぎた。『スマホ脳』という本がベストセラーになって、モバイルメディアとのつき合い方に警鐘を鳴らしていたが、相変わらず毎年新しいモデルが発表され、みんなこぞって機種変更をしている。
「去年(ウン年前)の今日は…」などと、いちいちSNSから通知が届くのには閉口気味だ。最近は、友だちの誕生日を知らせるのと同じノリで、2020年の緊急事態宣言のことやワクチン接種の行列にドキドキしながら並んだ日の記録が表示される。
あらためてふり返ってみると、とにかく人は群れることを好む生き物であるという事実を認めざるをえない。そして、スタイルこそ多様だが、ぼくたちは、共に飲んだり食べたりすることを好む。だから、一緒になっていくつもの過ちをくり返しているということなのだろう。

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10年前、飲食店の営業時間が制限され、ある時期はアルコールの提供が午後7時までになった。ウイルスの感染予防対策とはいえ、よくわからない方針だった。世の中の多くの人は9時から5時まで働いているわけで、しかも定時に退社できる人はそれほど多くもない。だから、事実上、大多数のビジネスパーソンは退社後の社交のひとときを奪われてしまった。午後7時までなら、しかたない。じゃあ午後3時から飲み始めよう。あるいは、ランチタイムにビールを飲めばいい。ぼくたちは、当然のことながら、社交を切望する本能に突き動かされて行動した。90分制限というのも、一つの店にかぎってのことなのだから、午後3時から適当に3軒ほどハシゴすれば、午後7時にはじゅうぶんに出来上がっている。たんに時間をずらせばいいだけなのだ。
あの頃を契機に、飲んだり食べたりする時間帯が、そして生活時間にかかわる方針全般が、すべての人に一様に訪れているわけではないというあたりまえのことを思い知った。考えてみれば、早朝のテレビに出てくるニュースキャスターは、自分とはまったくことなる時間帯を生きているのだった。昼夜が逆転しているのだ。深夜に道路などの集中工事やメンテナンスは行われているし、トラックは休むことなくモノを運んでいる。海外との遠隔会議のときには「時差」を意識していたが、じつは、ごく身近なところにさまざまな「時差」が偏在していた。この「タイムゾーンの民主化」ともいうべき動きは、まだ始まったばかりだ。結局のところ、四六時中灯りを消すことのない都市生活が続くのか。それとも、どのタイムゾーンを生きるかに応じて棲み分けへと向かうのか。

この10年で、記入フォームから「性別」欄が消えつつあった。とくに「男・女」で区別する必要もないし、どちらかに振り分けること自体が難しいことも少なくない。代わりに、どのタイムゾーンで暮らしているのか(あるいはどのタイムゾーンを選好するのか)が大事な情報として扱われつつある。タイムゾーンの多様性を認め合うのは、理屈ではわかっていても、なかなか難しい。

10年ひと昔というが、それほど変わらないのかもしれない。確実にわかったのは、リモートワークは「いつでも・どこでも」を実現する便利なものではなかったということだ。人との距離のありようを考え、社交の大切さを再認識したいま、「いつ・どこで」に対する感度が格段に高まった。どのタイムゾーンで、どの場所で過ごすのかという一人ひとりの細やかな欲求に応えながら社会生活を送るための仕組みは、そう簡単につくることはできないだろう。

ぼくは、いまも東京時間で暮らしている。「朝ドラ」が終わったら、身支度をして、出かけよう。何も、変わっていないのだ。