会議

2021年2月9日(火)*1

話が長いとか、短いとか。そんなものは、人それぞれだ。ぼくのような「おじさん」こそが、説教じみた話を長々としないように気をつけなければならないはずだ。もとより、長い短いは、誰とどこで何を話すのかによって大きく変わる。コミュニケーションの現場は、複雑で起伏に富んでいるのだ。だから、丁寧に時間をかけるべきこともあれば、「ざっくりと」話しておけばよいこともある。

とにかく、ぼくたちはたくさん会議をする。立場上、そういうものだと理解しながらも、朝から晩まで、ずっと会議のまま暮れてゆく日もある。そして、なぜか会議は特別な時間だと思い込んでいる。「会議があるから」と言えば、いろいろなことが許されてしまうような雰囲気さえあるから不思議だ。「おかしら」の一人として役目を担うようになってから、議事進行をする機会も増えた。

月に一度のペースで開かれる大学院の会議は、いつもだいたい90名程度の出席だろうか。毎回、会議に先立って事前の打ち合わせをする。議長であるぼくと、補佐をお願いしている先生、そして学事担当のスタッフと一緒に全体の流れを確認し、想定される質問への応えを準備する。いわゆる「落としどころ」についても相談しておく。そして当日。決められた時刻になると、電子音とともに先生がたが「会議室」に入ってくる。多くがビデオをオフにしているので、目の前には名前や顔写真がタイル状に並んでゆく。定則数を確認して、会議がはじまる。ぼくは、あらかじめ準備してあった議事次第に沿って、一つひとつすすめる。
なにしろ、学際的・複合的なアプローチを標榜している大学院なのだ。同じ議題であっても、一人ひとりの教員のリアクションがちがうのは、当然のことなのだろう。急がず丁寧にやろうとすると「そんなことは、もう思い切って決めてしまえばいい」と言われ、ぼく自身に親しみのある判断基準で決めようとすると「それでは不十分だ」とツッコミが入る。スピーカーから声が流れるかと思えば、チャット欄にもテキストが躍る。

会議って、いったい何だろう。会議というのは、どれほど周到に準備をしていても、本番になると予期せぬことが起きる。リアルな議場なら、顔色をうかがうことができたり、部屋を満たす雰囲気がヒントになったりするものだ。学事担当のスタッフに目で合図を送り、頷きを返してもらう。あるいは、後ろからそっとメモが差し入れられることもあるだろう。いまはSlackが、インカムのようなはたらきをしている。手もとには議事進行用のメモ、目の前には会議システムの画面、そしてもう一台のPCでSlackを追う。予想外のところで進行が滞り、紛糾することもある。ぎこちない「間」も生まれる。たまに早く終わることもあるが、みなさんからいただいている時間を(ときに大幅に)超過してしまう。そろそろ切り上げよう、これは一度引き取ろうか、次回に回してもだいじょうぶな議題はどれか。議事進行をしながら、Slackの情報を注視する。そんなやり方にも慣れてきた。

会議の終了を告げると、画面の明滅とともにタイル状の名前や画像が消えてゆく。あらかじめ申し合わせをしていたわけでもないのに、補佐の先生と学事担当のスタッフだけが「会議室」に居残っていることがあった。そこで、議論の流れをふり返る。終わるとぐったりとしてしまう。
もちろん、改善すべきところはある。でもなにより、いつも会議の裏側で忙しく動いているみなさんには、感謝の気持ちしかない。昨年の3月あたりから会議は原則としてオンライン開催に変わったので、リアルな議場での進行に慣れる暇もなく、画面越しの会議に向き合っている。
会議には、儀礼的な意味もあると思う。だが、顔色をうかがい忖度し、多くの「参加者」が沈黙しているだけの会議は、やり方を変えたほうがいい。話が長くなるのはなぜか。それは、「慣例にしたがって」進行する会議そのものへの意見ではないのか。会議のあり方をつくってきたのは誰か。物事の決め方はどのように維持されてきたのか。本質的な問い、変革への欲求は「ざっくりと」話せるはずもない。誰もが誠実に、長い話のために時間を出し合わなければならない。

10か月

[21] 2021年1月22日(金)

(12月19日〜1月18日)半年もすれば必要なくなるだろうと思っていた、「コロナと大学」の備忘録(月ごとのざっくりした動静メモ)。あたらしい年を迎えて、この暮らしが10か月も続いてきたことを思い知る。時計だけは、確実に動いている。けっきょく、準備してきた展覧会はオンラインで開催することにした。
引き続き、更新しておこう。
ひと月」(3月4日〜4月15日)、「ふた月」(4月16日〜5月15日)、「3か月」(5月16日〜6月19日)、「4か月」(6月20日〜7月18日)、「5か月」(7月19日〜8月18日)、「半年」(8月19日〜9月18日)、「7か月」(9月19日〜10月18日)、「8か月」(10月19日〜11月18日)、「9か月」(11月19日〜12月18日)を経て、新年を迎えた。*1

12月19日(土)

ちーがフランスから帰ってきて、ちいさな個展を開くというので(うちの近所だったし)遊びに行ってきた。数年前の夏に西脇で会って以来、まぁいろいろあるよね、波瀾万丈だよねという話をずっとしていて、結局、あまり作品を見なかったような気がする。最近の加藤研の「Every Person in Ikegami Line」をプレゼント。

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12月20日(日)
  • 加藤研のウェブマガジン(第48号)発行。今期のテーマは「距離」。

12月21日(月)
  • 大学院生とのミーティング(90分, オンライン)
  • 11月に実施した「人びとの世田谷線(Every Person in Setagaya Line)」の冊子が届いた。

12月22日(火)
  • 大学院生との面談(60分くらい, 対面)
  • 大学院生との面談(80分くらい, 対面)
  • 研究会(180分, オンキャンパス)
12月23日(水)

朝は塾長をはじめ常任理事の先生がたが、未来創造塾の内覧にキャンパスにやってきた。両学部長、事務長とともに90分ほどかけて界隈を案内。よく晴れて、少し暖かかったのでなにより。北側の国際学生寮も、仮囲いがはずされていた。

  • 未来創造塾(EAST)内覧会(90分くらい, オンキャンパス)+そのあと懇談
  • アゴラ(遅れて30分ほど参加, オンライン)
  • 面談(60分, 対面)
  • 会議(120分, オンライン)
  • 会議(60分, オンライン)
  • 大学院XDレビュー(180分くらい, オンライン)
12月25日(木)

冬期休校(冬休み)のはじまり。秋学期の授業は、すでに最終回をむかえているし、忘年会もないし、なんだか不思議な感じの年末。

  • 打ち合わせ(30分くらい, オンライン)
12月26日(火)

4年生たちから「卒プロ」のドラフトを受け取る日。ふだんなら書類を受け取って、忘年会という流れだけど今年はナシ。2年前にフィールドワークで通った桜丘で待ち合わせをして、無事に全員(6名)から受け取って、そのあとで一人ひとりが写ルンですを持って界隈を散策。2年前を思い出しつつ、まちを歩いた。

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  • 12月26日の東京都の新規患者にかんする報告件数:949
12月31日(木)

大晦日。いやな予感はしていたけど、いきなり1300人を上回った。

  • 12月31日の東京都の新規患者にかんする報告件数:1,337

2021年

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1月1日(金) 本年もよろしくお願いします

無事に年越し。

1月2日(土)
  • 迎春(マンスリー)を公開。
1月6日(水)
  • 学生との面談(60分, オンライン)
  • 学生との面談(60分, オンライン)
1月7日(木)

大学へ。いきなり2400人を上回る。8日から「緊急事態宣言」へ。

  • 学生との面談(60分, オンライン)
  • 修士研究会(90分くらい, オンライン)
  • 学生との面談(60分, オンライン)
  • 1月7日の東京都の新規患者にかんする報告件数:2,447
1月8日(木)

午前零時より、2度目の「緊急事態宣言」(〜2月7日まで)。これによって、大学の対応(1月8日付けで発出)、さらにはウチのキャンパスのBCPの書き換え作業も。

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1月12日(火)

キャンパスへ。「研究会」の補講をオンキャンパスで予定していたが、この状況下なので、だいたい10名くらいがキャンパスへ。あとの15名ほどはオンラインで。雪にはななかったが、極寒。(オンラインのほうが、暖かくて楽だったような気もする。)
「研究会」のあとで、「フィールドワーク展」の開催について4年生と相談。オンライン開催の方向性を、少しずつ現実的に考えはじめる。

  • 研究会(180分, オンキャンパス)
1月13日(水

会議日。大学院関連の会議は、まぁまぁ上手く進行できた。ただ、じぶんの認識不足というか、不勉強なところを(いつものことながら)実感。夕方の会議では、BCPの書き換えを承認(すぐに発出された)。

1月14日(木)
  • 学生との面談(60分, オンライン)
  • 学生との面談(60分, オンライン)
  • エキセントリック・リサーチ ワークショップ(180分, オンライン)

1月15日(金)

三田で会議。そのあとは家でオンライン。淡々とすすむ。

  • 会議(60分, オンキャンパス)
  • 会議(90分, オンライン)
  • モバイルメソッド(大学院AP, 90分, オンライン)
1月16日(土)

4年生と相談して、2月5日(金)〜7日(日)にかけて開催予定の「フィールドワーク展XVII:つきみててん」をオンラインで実施することに決定 → 研究会メンバーに連絡。けっこう落ち込む。

  • 4年生たちと「フィールドワーク展」をどうするかの打ち合わせ(60分, オンライン)
1月18日(月)
  • 1月18日の東京都の新規患者にかんする報告件数:1,204

 

(いまここ)

(つづく)

イラスト:https://chojugiga.com/

*1:必要に応じて、適宜加筆・修正します

迎春

2021年1月2日(土)

いまの状況が、これほど長くつづくとは思っていなかった。去年のいまごろは、あたらしい役目を担うようになって2か月、いよいよ本格的にがんばろうという気持ちが高まっていた(もちろん、いまでもその気持ちはある…)。学期末のドタバタが終わって、ほどなくCOVID-19に翻弄され、授業も会議もオンラインに移行し、そのまま春学期を終えた。夏の終わりにはシステムのトラブルにも見舞われ、ドタバタしながら学期末に。いろいろなことを中止したり延期したり、多くのことをあきらめたりせざるをえなかった。そして、気づけば2年間という任期の半分くらいはトラブル対応に時間もエネルギーもうばわれていた。
オンラインの授業には慣れてきたが、どうしても平板な感じがする。今学期は、滞在棟をつかう(合宿型の)授業は実現しなかった。高校生たちと半日にわたってワークショップをおこなう「未来構想キャンプ」は、10年目にして初のオンライン開催に。学生たちと全国を巡るフィールドワークは中断。平均すると春・秋それぞれの学期で2か所、つまり年間に4か所というペースで10数年つづけてきた。47都道府県の踏査を目指しているが、コンプリートは先延ばしになった。「カレーキャラバン」の活動も、9年目を迎えたところで足踏み。一昨年の夏に調理用の器財やスパイス一式をしまったままだ。同僚たちと「郊外型キャンパス」のよさを味わおうと開いている、月に1度の集まり(昼食会)も「会食なし」の近況報告の会になった。

これだけ見ても、ぼくの生活にはつねに「密」な活動がたくさんあったことがわかる。じつは、ぼくだけが特別だというわけでもなく、多くの人の日常生活は(程度の差こそあれ)「密」な関係によってつくられているのだと思う。つまりは、コミュニケーションだ。春からは、オンラインでのやりとりが一気に増えた。最初は、ビデオに映り込む背景のところを重点的に整理整頓した。何人かの同僚たちは、あたらしい機材を購入したことを(やや興奮気味に)SNS上で披露している。家がスタジオに、あるいはラボに変わっていくようすが伝わってきた。ぼくは、自室がデイトレーダーの部屋のように機器で埋まっていかないように、むしろのんびり過ごせるように小ぶりの机とイスを新調した。考えてみれば、ここ数年は仕事から帰るとすぐに眠ってしまうスタイルで、自室でゆっくり過ごすことはあまりなかった。
家で過ごす時間が増えたので、いままで先延ばしにしていた片づけや補修などにも目が向くようになった。10年くらい酷使してきた冷蔵庫やエアコンが、タイミングを見計らっていたかのように、立て続けに具合が悪くなったので買い換えた。古くなって、もう袖をとおさなくなった洋服もまとめて寄附した。比較的規則正しい生活を送り、外食が減ったおかげで体重も減った。睡眠時間は、少し長くなったように思う。一つひとつはちいさなことのようだが、束ねてみるといろいろな変化があった。
旅行(出張)、フィールドワークやインタビュー、対面の授業、合宿、飲み会、食事会など、さまざまな「移動」や「集まり」をあきらめたら、家が片づいて体調がよくなった。すべて、もとはといえばCOVID-19のせいだ。

あきらめたこと(あきらめざるをえなかったこと)を、少しずつでも取り戻したいという気持ちはある。たとえば秋学期の後半には、キャンパスで対面の授業をおこなった。もともと、じぶんだけちょっと高いところから話すというのはあまり好きではないのだが、ずいぶんひさしぶりの景色だった。前方から教室を見渡すと、50数名の学生たちがこちらを向いて座っている。ただそれだけのことが、とても嬉しかった。学生たちに、救われたような気持ちになった。

いっぽう、このさい何かをあきらめたり手放したりすることも大切なのではないかと思うようになった。「あたりまえ」なことは、ごく自然に疑いなく受け容れている。だからこそ、「あたりまえ」だったことは手放しがたい。どうしてもあきらめきれずに固執するのだ。フィールドワークやインタビューなどの調査研究の設計は、過去の事例をもとに構想する。シラバスも授業も、前年度の実績をふまえて微調整をおこなう。
10数年かけてつづけてきたこと、つくってきたことは、もちろん善かれと思ってはじめた。これまでに、いろいろな工夫を重ねてきたことの所産である。だがそれらはすべて、最初はほぼ何もないところからはじまっている(はじまっていたはずだ)。COVID-19にくわえて、学事のシステムがダウンしたおかげで、いろいろなことが「リセット」されたようなものだ。いままでのような「移動」や「集まり」を(ひとまず)あきらめて、オンラインもオンサイトも考える。さて、何からはじめればよいのだろう。

まずは、〈ことば〉にすることだ。いままで以上に、〈ことば〉について考えなければならないという想いになっている。〈ことば〉によって人は揺さぶられる。傷つくことも喜ぶこともある。そして、癒やされることもある。できることなら、慈愛に満ちた文章を綴れるようになりたい。こうやって「あたりまえ」のように文章を書いているが、知らないうちにいまのような文体になった。不思議なことだ。
検索もコピペもしない。原稿用紙のひとつ一つのマス目に、文字を配置してゆく。梅田さんの本にあるとおり*1、原稿用紙だと、書きながらじぶんの位置を知ることができる。書こうとする〈世界〉をあらかじめひとつの〈空間〉として設定して、文章を構築する。あらためて、じぶん自身の文章表現に向き合ってみようと思う。

ドタバタしながらも無事に年越し。みなさんにとって佳い年になりますように。🙇‍♂️本年もどうぞよろしくお願いします。

f:id:who-me:20201223083754j:plain写真は2020年12月23日。朝の鴨池。

*1:梅田卓夫(2001)文章表現 四〇〇字からのレッスン(ちくま学芸文庫)